台湾と後藤新平ー発見されたデスマスク

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デスマスクが何故台湾に?

後藤が台湾史において非常に重要な人物なのはわかった。端折りまくりではあるが…。

では何故、デスマスクが台湾にあるのか?

デスマスクを保管していた箱には、以下のことが書かれていた。

昭和四年四月十三日於于京都府立病院逝去
天眞院殿祥山棲霞大居士 霊位
伯爵 後藤新平閣下像

献納 辜顕榮

後藤新平のデスマスク、台湾で発見!より引用)

太字で書いてある人物が、後藤の死後に献納したということである。

 

辜顕榮こけんえい

(写真:Wikipediaより)

太字で書かれた辜顕榮こけんえいとはどんな人物なのか。

台湾の実業家で政治家。
日本統治下の台湾で度重なる抗日運動の鎮圧に全面的に協力し、後藤から絶対的な信任を得て、台湾総督府の専売事業だった樟脳(しょうのう)の製造・販売や塩田開発、アヘン、タバコ販売など譲り受け、巨富を築いた。
1923(大正12)年には勲三等に叙勲され、34(昭和9)年7月に貴族院議員に勅選された最初で、唯一の台湾人である。
後藤とは、個人的にも深い親交を結んでいたことが知られている。

後藤新平のデスマスク、台湾で発見!より引用)

辜は後藤を兄貴のように慕い、後藤危篤の知らせを受け辜は台湾から駆けつけた。が、後藤の亡き姿に泣き崩れたと当時の新聞記事は記している。

 

辜寛敏

辜顕榮には辜寛敏こかんびんという息子がいる。彼は母親が父のめかけだった日本人で、旧制台北高等学校卒。「日本人」として戦場にも行っている。当然、日本語はネイティブ。

彼は閣外顧問として第一次蔡英文政権を陰でバックアップし、去年も蔡英文総統への支持を呼びかけていた。

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デスマスクは本物か?

当時の新聞記事によると、後藤の死後デスマスクは3つ取られたという。そのうちの一つが辜顕榮の手で台湾に渡ったということなのだおるか。

しかし、疑い深い私はこう思ってしまう。

「それって本物?」

さて、本物という証拠を出せと。

デスマスクの発見者である金子展也氏は、前々からデスマスクの存在を知っていたものの、私と同じ疑問を抱き確証が持てなかったという。が、氏は1930年4月12日付『台湾日日新報』掲載の「故後藤伯 一周忌」の記事を発見。そこにはこう書かれていたという。

「同寺には昨年伯が京都府立大学病院で薨去(こうきょ)の際取ったデスマスク(死面)が辜顕栄氏の寄贈によって安置されてある」

との記載が。これで現物の裏が取れ公に発表となった。

 

残り2つのデスマスクの行方は、現時点では不明である。おそらく本国内にあると思われるが、これが発見されたら、後藤が100年前に作り上げた日台の絆の土台が、デスマスクをとおして完成するのかもしれない。

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