【後編】台湾にあった帝国大学-台北帝国大学(台北帝大)の歴史

台北帝大サムネ 台湾史

前編では、台北にある台湾大学の前身、台北帝国大学の歴史を、ざっくりではあるが記した。
中編は、実際に現在の台湾大学への冒険へと旅立ち、台北帝国大学の遺構を目(写真)で味わうことにする。

 

スポンサーリンク

台湾大学への行き方

f:id:casemaestro89:20180203191935j:plain

台湾大学は、ターミナル駅や官公庁が並ぶ市街中心部から南東の方向に位置している。地下鉄などなかった20数年前は、台北名物大渋滞の波をくぐり抜けなければならず、ここに行くにも一苦労だったのだが、現在は地下鉄でひとっ飛び。楽な時代になったものだ。

 

台北MRT台湾大学までの行き方

台湾大学への最寄り駅は、緑線(G線)の「公館」駅で下車。「公館」の二つ北寄りの「古亭」駅が旧制台北高等学校への最寄り駅なので、地下鉄一本で日本統治時代の高等教育機関建物巡りが可能でもある。

 

台北MRT公館台大駅台湾大学への最寄り駅

「公館」駅には、「台湾大学」という副駅名が存在している。日本風にいうと「台湾大学前」であろう。もしこれが大阪なら、「四天王寺前夕陽ヶ丘」「喜連瓜破」のように二つの地名を合体させ、「公館台大」という駅名になってのかも。

 

f:id:casemaestro89:20180204143854j:plain

台湾大学の正門へは、3番出口をのぼったらすぐ…でもない。大学の正門までは、この3番出口を上がって徒歩でだいたい2~3分。2~3分くらいブツブツ言わずに歩けと言いたいが、それを言えるのは地上に出るまでである…。

 

大学正門

台湾大学正門
台湾大学の正門、守衛室は台北帝国大学創設当時から変わっておらず、今も守衛の詰め所として現役である。

 

台北帝大時代の正門
台北帝国大学当時の写真だが、光景はほとんど変わっていないことが写真の比較からもわかる。

鉄道や路面電車の便がなかった台北帝国大学までの交通は、当時発展しつつあったバスで補完していた。この台北帝大の正門前には「帝大正門前」というバス停があり、中心部からの直通バスで8銭だったという記録が残っている。

 

f:id:casemaestro89:20180210084526j:plain
台湾大学の正門の向かい側は、大学前らしく学生向けのカフェやスイーツ店が立ち並んでいる。スタバやKFC、吉野家などの、日本人にもお馴染みのお店もある。

20年以上前に台北に住んでいた頃、台湾大学前にはちょくちょく足を伸ばしていた。その時は、「吃到飽(食べ放題)」と書かれた学生向けの安食堂や、難しい本が並んだ本屋が軒を連ね、学生街はどこの国も変わらないものだと感じた。今回、大学前界隈も少しウロウロしてみたのだが、完全に「今時のナウなヤング向け」になっており、私がいた頃の面影はほぼ消え失せていた。

その一軒に、台北の歴史書籍を扱う古書籍店があった。当時研究が始まったばかりの日本統治時代の資料が数多く揃い、台北帝国大学のリアルタイムの資料も店先に無造作に置かれていた。

店主は戦前の内地の大学を卒業した「元大学生」らしく、台湾人訛りが全くない日本語は、ヘタな日本人より上手いなと思ったほどであった。

台北在住日本人は多かったものの、日本統治時代に興味を示しここ(台大前)まで資料を求めてやって来る日本人は相当珍しかったようで、店主も悦んでいたことを覚えている。立ち読み御免の札をもらい、台北帝大や総督府の貴重な資料を見せてもらっていた。

しかしまあ、あれから台湾史の研究を続けていたら、今頃はいっぱしの専門家になっていたかもしれないものを。己の飽き性浮気性のバカヤロウ。

商売気が全くなかった楽隠居の道楽商売は既に終わったか、今回訪ねてみると店は跡形もなく消えていた。店主のおじいちゃんの淀みのない、昭和20年でフリーズしたかのような日本語と共に、まるでおとぎ話か夢でも見ていた気分がした。

 

f:id:casemaestro89:20180204161023j:plain
臺灣百年歷史地圖より)

台北帝国大学を真上から写した航空写真(昭和20年6月撮影)だが、この約2ヶ月後に終戦、敷地としてはこれが台北帝大としての最終形態である。

クソ熱いから旧台北帝大の建物散策だけでええわという人ならば、

f:id:casemaestro89:20180209215133p:plain
赤で囲んだ区域だけを見て回れば結構。それでも全部回るとざっくりで小一時間、一棟ずつじっくりだと数時間かかる。もし夏場の暑い時期なら、よほど体力が有り余っていない限り、早朝など涼しい時間帯の方が良い。

NEXT:台湾大学に残る帝大時代の遺構たち

タイトルとURLをコピーしました