何十年前になろうか、かつて中国に留学していた時、日本人はこんなことをよく口にしていた。
中国は儒教の国だから、中国の方はさぞかし礼儀正しい人が多いのでしょうね
その度に、
何言うとんねん!ケンシロウがいないリアル北斗の拳の世界じゃ!!
現在なら、上海を舞台にした「蒼天の拳」や、何億もの特級人民が巣食う「呪術廻戦」の方がよほどリアルなのだが、当時は中国世界を表すのに誰もが『北斗の拳』に例えていた。
しかし、そんなのはマンガアニメの世界だと一笑に付されるどころか、
中国人を差別するとは!!
と怒られすらしたものである。いや、差別ではなく現実をそのまま言っただけなのだが…。
日本人にとっては、それくらい「中国=儒教の国=礼儀の国=みんな礼儀正しい」というイメージが強かったのである。
中国古典の代表である『論語』『孟子』。
日本の儒学者は、四書五経と呼ばれた古典を至宝とし、
「唐国はこの言葉に書かれた世界の通りに違いない!」
と唐国こと中国を理想郷とした。こうして考えれば、日本人の性善白痴って江戸時代からなんだなーとため息の一つや二つつきたくなるが、とにかく儒学者たちは生真面目に文字に書かれた言葉を真に受け、日本もかくありたいと修養に努め、周囲にも啓蒙した。
その結果、日本は外国から賞賛されるような礼儀の国となったのだが、本家の中国はどうなのか。
それが「リアル北斗の拳」だったのである。
しかし、古典に書かれた「キラキラ唐国」を、
なんかおかしいぞ…なんか引っかかるんだよな…
と感じた学者がいたことも確か。国学者や蘭学者がそうなのだが、儒学者や古典を読んだ読書人の中にも何か引っかかった人がいたという。
何が引っかかったのか。彼等の疑問をまとめると、
中国が本当にそんな国なら、いちいち文字に残すか?
最初に引っかかったのは、京の町儒学者伊藤仁斎と言われているが、筆者は浅学のため詳しいことはわからない。
しかし、巷ではポツポツと言われていたことは確かなようである。
そして鎖国が解け日本人も海外へ飛躍する明治へ。当然、支那の大陸へ渡る人も大量に現れた。そこで見た「理想の中国」とは…もう書くまでもない。
明治後期、ちょうど日露戦争終結直後に大陸へ渡った一人のジャーナリストがいた。彼の名前は徳富猪一郎。
苗字でなんとなく察しがつくように、号の方が有名な歴史家・思想家徳富蘇峰その人である。上の写真は1899(明治32)年の頃のものなので、中国へ渡った時の姿もこれに近いと思われる。晩年の髪の毛大爆発からは想像もできないイケメンである。
蘇峰は1906(明治39)年5月から始まった彼の旅は、朝鮮経由で6月に現在の丹東へ入り、8月に上海から帰路につくまで、華北を中心に中国のリアルを見て回った。
蘇峰は、その経験や見聞を『七十八日遊記』という旅行記にまとめた。中国にいたのは実質2ヶ月ほどであったが、そこで中国人のリアルも思い存分見てきた模様で、その所感を紀行文の最後に『支那及支那人』としてまとめている。
その所感は、一言で言えばフルボッコ。
蘇峰さん、あんた中国で何があった…一体何を見たんや…💦
若さもあったのだろうが、あまりの辛辣ぶりに読者の私も焦ったほどである。
しかし、その洞察と表現はなかなか正鵠を射ており、私が1〜2年かけてぼんやりと感じた中国人に対する行動形態を、2ヶ月という短い期間でズバッと言い切っている。後世に名を残す文筆家は、洞察のアンテナの感度と言語化能力が違うと感服しかない。
その中で、非常に面白い考察を行っている。それが今回の本題、「論語の逆さ読み」である。