旧制台北高等学校 序章-旧制高校とは

台湾史
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台北高等学校とは…とその前に旧制高校の説明を

台北高等学校の説明の前に、「旧制高校」を解説しておかなければならない。この予備知識がないと、その後の台北高等学校の説明がすべて暖簾に腕押しになってしまう可能性がある。

「旧制高校」とは戦前の学制にあった学校の一つで、戦後に廃止となった。

まず、「高校」といっても、まず今の高校とは全く違う。新学制における高校、つまり今の高校、は中等教育の一つだが、旧制高校は高等教育の一つ。つまり今の大学と同等の学校である。

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上の図の左側が旧制、右が現在の学制である。

戦前の学制、実は非常にややこしい。戦前の学制はヨーロッパ式の「複線制」を導入し、当人の志望・家の経済力・故郷の情勢などによっていくつものパターンが用意されていた。ドイツは現在でもこのシステムで、「ギムナジウム」という旧制高校と同じ地位の学校が存在する。いや、旧制高校自体がギムナジウムのパクリである。なお、今の学制はアメリカ式で「単線制」と言う。

旧学制は急がば回れや脇道が多い上に、「中学四年修了」などの飛び級もあり非常にややこしく、上の図をひと目見ただけではすぐにわからない。

旧学制と新学制早見比較表

旧学制の重要な部分だけを切り抜き単純化させつつ、今の学制と比較してみた。小学校までは現在と同じだが、そこからの進路の枝分かれが多いのが戦前の学制の特徴である。今の「6-3-3-4制」風の言い方をすると、戦前は「6-5-3-3制」と言っていいであろう。

戦前の旧制高校一覧表

(昭和20年当時、旧制高校一覧表)

旧制高校は大学に入るための予備機関という解釈をしても良い。が、高等学校に入れば人も羨むエリートの仲間入り。まだいろいろな意味で進学が狭き門だった地方では、旧制中学や高等女学校卒でも知識階級かつ名士扱い。今の高卒でこれだから、旧制高校生となると雲の上を超えた神候補的存在。

旧制高校生にはある特権が与えられていた。それは、帝国大学へ基本的に無試験で進学できること旧帝国大学の定員≧旧制高校の定員となっており、

「俺は東京帝大しか興味はない!」

「俺の進路は京都帝国大学医学部のみ!」

など、相当のこだわりがある人は別だが(ただし、そういう人は山ほどいた)、それ以外はエスカレーター式に帝国大学へご案内。

志望者が多かった東京帝国大学や京都帝国大学、または医学部は簡単な入学試験があったようだが、旧制広島高校から東大文学部に入った作家の阿川弘之によると、同じ東大でも文学部などはノー試験。ご希望ならどうぞお好きにお入り下さいという状態だったそうである。

ただし、文学部でまともな就職先があると思うなよという前提で。

高校に入ってしまえば大学へはフリーパス。その間に17~20歳だった学生たちは受験のプレッシャーから開放され、同級生と心ゆくまで議論し、気が済むまで勉強し、校庭で寝転んで人生を考えたりと、青春を満喫した人生でいちばん自由な時間を過ごしでいた。しかし、別に遊んでいたわけではない。身体を伸ばすと同時に思考の幅も思い存分伸ばし、将来のための器の広さを作っていたと言ってもよい。

こう書くと、ある勘違いをする人が一定数いる。

「なんだ、戦前は大学に入るって簡単だったんだ」

大学へは確かに基本「無試験」だが、その条件である旧制高校がとてつもなく狭き門だったのである。

旧制高校の競争率は平均10~20倍、時代によって少し変わったりもするが、今の大学と同じように一次試験と二次試験があった。高校に入るのに二浪くらいは当たり前、作家の司馬遼太郎も、浪人してまで全国の高校を受けまくったものの、「かすりもしなかった(by本人)」。結局無試験だった大阪外国語学校1になんとか滑り込んだ。

台湾人で旧制高校を卒業し、現代の台湾人の間でも名が知られているのは、李登輝と彭明敏である。この二人は、李は台湾の淡水中学、彭は関西学院中学部を卒業し、それぞれ台北と第三高校(京都)に進学しているが、それぞれ旧制度における当該学校唯一の高校進学者であった2

旧制高校に入れるような人は、各都道府県の進学校の成績上位者しか入れないと言ってよく、さらに学費も案外高く経済的にも裕福な家庭の青年しか入れない。今の大学に入るよりはるかに高い関門だったことは確実である。

現在の「旧制高校」

旧制高校は、戦後に学制が変わり昭和25年までには大学と統合という形で廃校となった。そのため、制度上では跡形も残っていない。が、その残骸は今の大学制度にも背景放射のように残っている。

大学を卒業した人なら、一般教養こと「パンキョー」は知っているはず。これが実体がなくなっても残っている旧制高校の残像。1993年以前に大学を卒業した人であれば、大学に「教養部」があったはず。それも大学に吸収された旧制高校の残骸だった。

旧制高校のシステムが、現代でもそのまま残っている日本唯一の大学がある。それがかの東京大学の教養学部。

東大の学生は、最初の2年間は駒場キャンバスで一般教養を学び、残り2年(医学部と薬学部は4年)の専門科目を赤門があるキャンパスなどで学ぶシステムである。この最初の2年間の流れが旧制高校の名残で、駒場の教養過程を2年から3年にしたら旧制高校の復活なり。駒場キャンバス自体も旧制第一高等学校という、日本トップクラスだった旧制高校の敷地をそのまま流用している。

東大の入試の募集要項も、他の大学と比べ一風変わっている。

ふつうの大学は、「文学部」「医学部」などで募集する。が、東大だけは「文科一類」「理科ニ類」などで募集している。実はこれも旧制高校の名残。旧制高校の募集とクラス分けもこのような仕組みで、「一類」などの言い方が「甲乙丙」になっただけ。

今の東大教養学部と比較すると下の通り。左が東大、右が旧制高校である。

  • 文科(理科)一類 → 文科(理科)甲類
  • 文科(理科)二類 → 文科(理科)乙類
  • 文科(理科)三類 → 文科(理科)丙類

ただし、東大の一ニ三類は3年生以降の進学先に対し、旧制高校の甲乙丙はメインで学ぶ外国語の分類というところが、東大とは違う点である。

旧制高校の場合、「甲類」は英語「乙類」はドイツ語「丙類」はフランス語が主要外国語となり、高校の3年間その語学の授業がみっちり組み込まれているシステムとなっていた。

「甲類」「乙類」はどこの高校にもあったのだが、仏語メインの「丙類」を置いていた高校は文科でも数少なく、「理科丙類」となると東京高等学校(東大に吸収)大阪高等学校(阪大に吸収)と全国に2校しか存在しなかった。

NEXT:旧制高校生の生活文化

  1. 今の大阪大学外国語学部
  2. それぞれの自伝より。

コメント

  1. 台湾好き より:

    興味深い記事をありがとうございます。

    師大の Normal は、英語よりフランスの E’cole normale 的な
    感じで付けた、と伺ったことがあります。

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