【前編】台湾にあった帝国大学-台北帝国大学(台北帝大)の歴史

台北帝大サムネ 台湾史
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大学予科

しかし、一部には注目されても、あてにしていた台北高校の学生には、理系以外はチラ見すらしてくれない。統治当初からあった総督府立医学専門学校を吸収し医学部が出来ると、台湾人学生の入学が激増し盛り返してくるものの、それ以外はさっぱり。

慢性的学生不足をどう解消するか。台北帝大はあるアイデアを思いつく。

「なら、学生を青田買いしてキープしておけばいい!」

1941年(昭和16)、当時の総督長谷川清海軍大将によって台北帝大は「予科」を新設した。

 

「大学予科」も、現在の学校制度にはない学校なのだが、何ぞやと簡単にいうと「ほぼ旧制高校」。しかし旧制高校ではない。雑記書や回想録などでは、旧制高校と大学予科をごっちゃにしている人もいる、制度上は全く別個の学校である。

しかし、旧制高校と大学予科の違いはただ一つ。「学校選択の自由があるか否か」

旧制高校は、卒業後空きさえあれば全国の大学どこでも、基本は無試験で入ることが可能だった。が、大学予科卒業生は「本科」に入学が必須。『旧制台北高等学校 序章-旧制高校とは』で、東京大学教養学部は現代日本に唯一残る旧制高校と以前説明したが、東大以外に進学不可という意味では「東京大学予科(3~4年生が本科)」という言い方の方が妥当であろう。

ただし、大学予科は、「進学の縛り」を除けば旧制高校生と何の変わりもない。ストームもあったし、バンカラな格好も同じ。高校生の象徴、制帽の二本線の白線も同じ。台北でも、台高生と帝大予科生の違いは制帽の徽章くらいで、パット見だけでは見分けがつかなかったという。

ただ、予科を設置していた大学はけっこう多く、国公立でも今の一橋大学、神戸大学、大阪市立大学、私立でも関西大学や龍谷大学などに置かれ、帝国大学でも台北の他、北海道帝大や京城帝大にも設置されていた。逆に言うと、予科を置いていた大学は学生集めに苦労していたということとも言えなくもない。

 

台北帝大予科の場所

台北帝大予科は実質4年間しか開かれなかったせいか、卒業生も少なくわかっていないことも多い、まだ研究途上の学校である。例えば場所。設立当初の校舎は、帝大の場所を間借りしていたことは確かなものの、場所は広い大学内のどこだったんだというと、実は今でもわかっていない。

もう一つ確かなのは、設立させて数年後、おそらく1942年(昭和17)あたりから移転を開始していること。

 

台北帝国大学予科ー芝山巌1945年米軍撮影航空写真
台湾百年歴史地図-1945年米軍撮影航空写真より)

移転先はかの「芝山巌」。台湾初の学校が作られ、「六士先生」が祀られていた芝山巌神社の隣に作られたのである。
帝大からはるかに離れた位置、それも台湾教育発祥の地に、予科とはいえ大学を作る。芝山巌という台湾教育の原点の地に高等教育機関を作ることによって、これで台湾の教育は完成だという総督府の思いが秘められているのかもしれない。が、結果論だがすべてが遅すぎた。

台北帝大や予科も時代情勢によって振り回された結果、未完に終わった台湾教育の未来予想図の跡だったのかもしれない。

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(出典:2枚とも『白線帽の青春 西日本編』より)

実際の予科のキャンパスの写真を見ると、何もない感が強く、ここは本当に台北か、牧場に校舎を作ったのかという感がある。

 

台北帝国大学予科ー芝山巌神社前学生写真

予科学生の芝山巌神社の前での記念撮影(1943年)。左の旗には、めくれているが「臺北帝國大學豫科(台北帝国大学予科)」と書かれている。

「大学予科」と言っても、マントに下駄履きと姿格好はバンカラ旧制高校生と変わらないことが、この写真からわかる。

 

台北帝国大学予科の学生たちー芝山巌神社前にて

芝山巌神社の前で校旗を中心にしてストームしている学生たち。1943年、昭和18年の写真だが、とても戦争真っ只中のものとは思えないほど学生たちが生き生きとしているように見える。

 

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現在の予科の跡はこうなっている。校舎は戦後に国民党に接収され、現在でも国民党の施設として立入禁止とのこと。しかし、建物の形になんとなく面影がある気もしないでもない。

 

予科vs台高

台北高校は、台湾唯一の高校として台湾で独自の地位を築き、独特の存在感を作り上げてきた。ストームなどで街中を暴れまわる高校生に、保守的な台湾住民はかなり違和感を感じたものの、それを受け入れる土壌が徐々に出来上がってきたのだが、台帝大予科が出来ることによって新たな刺激が出来たようで、お互いをライバル視するようになる。

そんな10代後半の若いエネルギーを発散させよう、お互い交流の機会を作ろうと行われたのが、台帝大予科vs台北高校 対抗運動会であった。
「早稲田vs慶応」「東大vs京大」のように、今でもライバル校どうしの対抗試合が行われているが、戦前の台湾にもそういう運動会があったのである。

 

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(台湾大学校史館より)

台湾大学資料館から借りてきた運動会の時の写真だが、台北高校のグラウンドは狭く、競技は台北帝大のグラウンドで行われた。昭和17年の第一回は台北高校が勝利、翌年は予科の勝利。1勝1敗で翌年に持ち越されたのだが、19年は戦争の激化で中止。
終戦でどちらの学校も消えてしまい、「第三回」が行われることは永遠になくなった。行われた時代が少し悪かった、幻の運動会であった。
現在、それぞれの後輩にあたる台湾大学と台湾師範大学は運動会などの交流を行っておいないという。2017年は「台北高校創立95周年」、2018年は「台北帝大創立90周年」。2022年の「台湾師範大学(台北高校)創立100周年」あたりが近いので、もし私が広告代理店かイベント会社の社員なら、両大学に企画書持って行くけどな~。

 

お次は、台北帝国大学の面影を視覚で見ていくとする。

後編はこちら!⇒【後編】台湾にあった帝国大学-台北帝国大学(台北帝大)の歴史

台湾史を知る書籍

 

参考資料■台北帝国大学と台湾学 歐素瑛論文
■臺北帝国大学の動物学研究 ―青木文一郎と哺乳類標本 本川雅治・于 宏燦論文
■台北帝国大学成立史に関する一考察 神戸大学発達科学部論文
■台北帝国大学設立計画案に関する一考察 李恒全 神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要論文
■日本統治下の台北帝国大学について 陳瑜
■北海道帝国大学理学部における女性の入学 山本美穂子論文
■『帝国大学案内 昭和13年度版』
■『台北高校物語』蔡錦堂(監修)/陳中寧(作)

 

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