一昨年の2018年、台湾は南部にある、「台湾の京都」と呼ばれている古都台南で、慰安婦像が建てられたというニュース、覚えている方はいるでしょうか。
当時、私はこんな感想を抱きました。
また国民党か、懲りないな(笑
そう、「またか」というのは、国民党が慰安婦カードを使ってくるのは初めてではないからなのです。
台南慰安婦像の背景
慰安婦とくれば韓国というイメージが強いですが、実は台湾でもちょくちょく採り上げらています。
台湾=親日という単純なイメージしか持たないと見逃しがちですが、台湾には大陸(中国)から逃げてきた、俗に「外省人」と呼ばれる人たちと、その子孫が少なからず存在しています。
かつては「本省人(=台湾人)」との対立として取り上げられてきましたが、世代交代も進み、その構図だけでは測れない時代。若い世代にとっては、
「昔、そんなのがあったらしいね」
という、骨董品屋にしか陳列されていない歴史用語となっています。いまだに「外省人」「本省人」で区別している人は、Windows10の時代にまだ98使ってるの?というほど情報が古いので、すぐにバージョンアップしましょう。というか私の研究の邪魔なのでさっさとやれ、出来なければ黙ってろ。
台湾情勢は、非常に複雑です。「台湾=親日」という一方的なものの見方しかできない人は、台湾情勢の複雑さを理解できない上に、こういう「反日」的な話題があがると、
自分の知ってる台湾じゃない!!
と感情的に反応してしまいます。
国際情勢の分析は幅広い知識と視野を必要とするもの、80年前の日本の総理大臣が「もうわけわかんね!」という理由で内閣を投げ出したほど「複雑怪奇」な世界です。やれ親日だやれ反日だと一面的な見方しかできないのは、勉強不足以前に自分にストレスが溜まるだけなので健康にも良くありません。
さて、この台南慰安婦像を建てたのは誰か。
調べてみると「台南市慰安婦人権平等促進協会」という、名前からして胡散臭い団体が中心となっています。ここの連絡先を調べてみると、国民党台南支部と同じ。像の設置場所も公有地ではなく、国民党の私有地。これは法的には別に問題ないと思われるので、勝手にやりなはれでしょう。
つまり、慰安婦像の設置主は国民党、それを人権団体という隠れみのを使って大プロパガンダをやったという経緯となります。
台湾版、お前が言うな
中国国民党は、1949年に台湾に「亡命」して以降、「大陸反攻」をスローガンに「中共」こと中華人民共和国と対立してきました。信じられないでしょうが、ほんの22~3年前までは明日戦争を起こしてもいいような臨戦態勢だったのです。
戒厳令絶賛進行中の台湾に在住していた人に話を聞いたことがありますが、会社の従業員に少なからず秘密警察がいて、電話も政治的な話になると急に切れる…つまり盗聴なんてごくふつうでした。なぁ~んだ、中華人民共和国と変わらないじゃないかと。
その紅組共産党と青組国民党の対立の最前線が、金門島という福建省の小さな島でした。
矢印の部分が金門島ですが、中国福建省厦門(アモイ)市と目と鼻の先です。
中国留学中、アモイから金門島を見たことがあります。アモイも島なのですが、両島の距離は余裕で泳げる距離、双眼鏡があれば島の人が手を振る姿がはっきり見えるほど、「すぐそこ」なのです。
そんな金門島は臨戦態勢の頃、一般人が立ち入ることができない島ごと軍事機密でした。私が台湾に住んでいた頃は渡航可能でしたが、何か特殊な書類を書く必要があったか、事前に申請が必要だった気が。
そんな金門島には、1956年から「軍中特約茶室」という娯楽施設が存在していました。「831部隊」とも呼ばれ、ネットではこちらの方が主流ですが、特約茶室…なんだか戦後日本の「赤線」を彷彿とさせます。戦後の日本の売春区域「赤線」は、都道府県によって形態は違いますが、東京は「特殊喫茶店」(俗にカフェー)という名目で営業していました。「特約茶室」の「特約」も意味は同じなのではないかと。
それはさておき、台湾の「特約茶室」は最前線の兵士用の慰安所、スタッフは売笑婦です。。売笑婦という言い方が気に食わない?ならば、慰安婦と呼びましょう。
この「特約茶室」、調べて見ると金門島だけではありませんでした。1958年(昭和28)時点で台湾の主要都市はもちろん、軍隊の駐留するところには必ずあるというほど存在していました。その数は32ヶ所。1959年には50ヶ所以上という資料もあります1。
ちなみに、日本統治時代の台湾にあった遊郭の数は、台北・台中・彰化・嘉義・台南・高雄・基隆・花蓮・澎湖の9ヶ所(『全国遊廓案内』(1930年)及び筆者独自調査)。それに比べても32という数が異様だったことがわかるでしょう。
それだけであれば、なんだただの軍の慰安所かと、世界史的に見ると大したことではありません。しかし、国民党は大陸出身の「同胞」には手を付けず、未成年の台湾人を娼婦として動員、時によっては通学の女子学生を拉致していました。
国民党の兵士は、台湾の村々を襲い、手頃な若い娘をさらって自分の嫁にしていた事実もあります。これも台湾史を根を詰めて学ばないと知ることのない、日本では絶対に知られることのない歴史です。中には姉妹が強引に「外省人」と結婚させられ、
あいつら(←中国人)、絶対に許さん!
と怒りをぶちまけていた、日本語世代の人の話も聞いたことがあります。
話だけを聞くと、『銀河鉄道999』の機械人間による人間狩りや、『北斗の拳』の世界が連想できました。あれって漫画・アニメの世界だけじゃなかったのだと。
この慰安所は1990年代の民主化、つまり李登輝氏が総統になるまでは軍の極秘。知らぬは台湾人民ばかりなりだったのですが、当時は戒厳令下、存在をバラしたら国家機密漏洩罪かなにかで銃殺刑が待っていたそうです。
この台湾版慰安婦は、2014年に「軍中楽園」という映画にもなりました。4日間で2800万台湾ドル(約1億円)の興行収入を得たほどのヒット作となりました。日本でも上映されたので、見た方もいるでしょう。
映画の効果もあり、「国民党立台湾慰安婦」の存在は周知の事実となりました。
この事実に対し、国民党は謝罪の「し」もしていません。それどころか、必要悪だったと開き直っているのですが、それが逆に国民党が慰安婦ネタを封印される呪縛となっています。
立法院(国会)でも国民党が慰安婦をネタにはしています。しかし、
日本の慰安婦!!
軍中楽園!!
はい終了。
軍中楽園は紛れもない事実のため、国民党の盛大な地雷のおかげで全く話が盛り上がらない。つまり、国民党が慰安婦ネタを持ち出せば持ち出すほど、
「お前が言うな!」
と盛大なブーメランとなって返ってくる…慰安婦と騒げば騒ぐほど、自分らの黒歴史がクローズアップされてしまうのです。おそらく、明るみに出ていない「国民党慰安婦」ネタ、まだあると思いますよ。