さくら、突然やけど、今の日本には時差ってないよね?
日本標準時って、一つしかないじゃないんですか?
そうやろ?でも、戦前は「二つ以上」あったら?
え?昔は何個もあったんですか?
せやで!今回はそんな「日本人が忘れたもう一つの時間帯」の話をしよか~
それは台湾と何の関係が?
ありあり、オオアリクイやで!
数年前になるが、台湾で
「時間帯を日本(や韓国)と同じにしろ!」
という話題が出ていたのをご存じであろうか。
現在、台湾の時間ゾーンはGMT+8となっている。わかりやすく言うと日本より1時間遅い時間帯である。それを日本や韓国と同じ時間帯にしろという提言が、政府の政策委員会に寄せられたというのだ。
理由は、中国との差別化。委員会は2ヶ月以内に政府として何らかの見解を出すとしているが、2017年の記事なので見解はNoだったのであろう。
今は話題になってへんから、立ち消えになったんやろな
そうなんですね…
ところで、日本時代の台湾の時間帯はどうなっていたんですか?
大日本帝国の時差
今の日本のタイムゾーンはGMT+9で、一つしか存在せえへん。
でも、戦前にはもう一つ、時間帯が存在してたんや。
それが、「西部時間帯」
西部時間帯!そんなの聞いたことなかったです!
高校までの授業でもやらなかったし…
1895年(明治28)に日本は日清戦争の下関条約で台湾を獲得した。それは学校の授業で習ったやろ?
はい!
第二条
清国は次に記した土地の主権と,その地方にある城塞,兵器製造所,官有物を永久に日本に割譲する。
一 (略)
二 台湾全島とその付属の諸島
三 澎湖列島
こうして日本は台湾を統治、台湾サイドから見れば「日本統治時代」が始まったわけやけど、
半年後にある勅令が定められたんや。
「標準時二関スル件」(勅令第百六十七号)
第一条 帝国従来ノ標準時ハ自今之ヲ中央標準時ト称ス
第二条 東経百二十度ノ子午線ノ時ヲ以テ台湾及澎湖列島並ニ八重山及宮古列島ノ標準時ト定メ之ヲ西部標準時ト称ス
第三条 本令ハ明治二十九年一月一日ヨリ施行ス
現在の日本は兵庫県明石市の東経135度が標準時となっているが、正式名称は現在でも「中央標準時」となっており、この勅令により「西部標準時」も制定された。日本に時間帯が二つ誕生したのである。
この法令、もう一つ特徴があるんや、わかるか?
特徴?わかりません…
ほな、第二条をもう一回よ~く見てみよか?
第二条 東経百二十度ノ子午線ノ時ヲ以テ台湾及澎湖諸島並ニ八重山及宮古列島ノ標準時ト定メ之ヲ西部標準時ト称ス
下線部に注目や!
あ!石垣島と宮古島、与那国島も入ってますね!
当時の日本政府も、地理的に近い諸島を同じ時間帯に入れるという粋な計らい(?)をしていたのである。
この西部標準時については、ある人がこのような記述を残している
王育徳著『「昭和」を生きた台湾青年』p150
「途中、1日に時計の針を二十分ずつ進めるのも、公学校の国語読本に書いてあったとおりで面白かった」
「昭和人」として人生を生きた台湾人の自伝の一節である。
彼は1937年(昭和12)に、姉が嫁いだ神戸を兄とともに訪問している。
門司まで2泊3日の船旅だったのだが、船上で時計の針を進めている。つまり、台湾と日本の間に時差が存在しており、それを公学校1でそれを習っていたという証である。
豆知識!
この西部標準時、のちに満洲国にも適用されたんや。満洲国は西部でもなんでもないけどなw
もう一つの時間帯
実は西部時間帯にも、非公式ながらもう一つ、
いや、それ以上の時間帯が存在してたんや
残りは樺太?朝鮮?
いや、日本からはるかに南の、南洋諸島な
南洋諸島?
南洋諸島とは、現在のパラオ共和国、サイパン、グアム島などの区域で、国連(国際連盟)から日本に委任を委託された「委任統治領」だった。
委任統治領とは、第一次世界大戦で没収されたドイツなど同盟国側の植民地を、
国際連盟が監視下に置き、特定の国に維持管理を任せるもの。
特殊な形態やけど、実質植民地とみなしてもええと思う。
南洋諸島は日本の植民地ということですか?
国連が「日本さん管理したってやー」と委託されたものやから、厳密に言えば日本領でもない。
せやけど、管理は日本に一任されてたさかい、”みなし”日本領と見て良いかと思う。
(そこは専門家によって見解が違うんやけど…)
その南洋諸島には、東西に広かったせいか時間帯が3つも存在していた。
南洋諸島だけでも3つも時間帯があったんですね!
現存してたらめちゃ混乱しそうですw
そして統一へ
でも、交通網の発達、特に航空機の旅客輸送が始まったのと、ラジオの登場などで、国内に時間帯が複数あることが足かせになってきたんや。
そこで、1937年(昭和12)9月24日に公布された勅令第五百二十九号で、時間帯が改訂された。
明治二十八年勅令第百六十七号左ノ通改正ス
第二条 削除
第二条とは「台湾及澎湖列島並ニ八重山及宮古列島ノ標準時ト定メ之ヲ西部標準時ト称ス」。
それが丸々削除され、内地と同じくGMT+9に統一されたんや。
南洋諸島も、この時にUTC+9と+10の二つに改編されたんやで。
上に記した王育徳が、台湾から内地へ向かったのは1937年の7月。船上でシナ事変2の一報を聞いたというので、上旬のことだろう。
1ヶ月の滞在後に台湾へ帰還したのだが、帰還西部標準時が廃止となったのが9月なので、偶然ではあるが歴史的に西部標準時が存在し、経験し、そして文章に記した最後の人物となった。
これで日本領はすべて中央標準時に統一されたんやけど、興味深いのは「標準時二関スル件」は現在でも法律として有効っちゅーことや。
削除された第二条も「削除」で残ってるのが面白い~!
この呼び名は明治時代、台湾が日本領になった「記念」の生き残りという見方もできる。現代日本にも、台湾が日本領だった残滓が意外なところで残っているのである。