3月29日の夜、志村けんさんが亡くなりました。
武漢肺炎に罹っていたのは知っていたけれど、容態は持ち直して峠は越えたという情報もあったので、こちらは一安心していました。
それが一転、今回の訃報に。
私はドリフの「8時だよ全員集合」や「ドリフの大爆笑」を見て育ったジャストミートの世代。幼少時の毎週土曜日夜8時は「全員集合」固定、大阪で行われた「全員集合」生収録を見に行ったこともあるそうです。なぜ「そうです」なのかというと、4歳だったので記憶にはほとんどないから。
また、「全員集合」の終了後も、「だいじょうぶだぁ~」や「バカ殿」などを見てお茶の間で笑いに笑った世代でもあります。
ガンなどで亡くなったなら、まだそれほどのショックはなかったはず。その証拠に、いかりや長介さんの時はそれほどのショックを感じることはありませんでした。が、志村けんさんの場合は武漢肺炎。彼の死はある意味、親の死よりショックでした。
今頃は、あの世の前で待っていたいかりや長介さんに、こっぴどく叱られてるでしょう。
志村けんと台湾
志村さんの死は、台湾でも大きな衝撃となって伝わりました。台湾では「喜劇天王」というあだ名で広く知られています。あだ名(と言ってもいいのか)の固有名詞で伝わっている日本の有名人は他に、「男神(福山雅治)」「女王(天海祐希)」などがいます。
海外に出たことがない人や、海外情勢に疎い人は、なんで志村けんが亡くなって台湾が衝撃を受けるのだよと不思議に思うかもしれません。が、日本人がテレビで見て笑っていた志村けんの番組は、現地の日本語TVチャンネルを通して台湾にも伝わっており、我々と同じように彼の番組で笑って育った世代がいたのです。
Facebookでこんな人の追悼メッセージを目にしました。
台湾の有名ヘビメタシンガーから政治の世界へ入ったフレディ・リム(林昶佐)氏のメッセージです。彼は台湾政界の若きホープとしても、台湾では知らない人はいないほどの有名人ですが、そんな彼が日本語付きでメッセージを発してくれていました。絵はフレディ氏の手書きだそうです。
彼も、おそらく日本チャンネルを通して志村けんさんの番組を見て育ったのでしょう。「日本人であれば」年齢的にドンピシャでしたが、フレディは正直意外でした。それだけ今回の死は数多くの台湾人の胸にも響いた出来事でした。
そんな志村さんの台湾での人気は、ある一つの転機を起こします。
志村けんさんの訃報。お会いしたことはありませんが、20年ほど前に某広告代理店での会議上、日本アジア航空のイメージキャラとして台湾でも絶大な人気を誇る志村さんを提案しました。とんとん拍子に企画は進み、結果は大好評でした(金城武は決定済でした)。安らかにお休みください。#志村けん #台湾
こうして生まれたのが、当時アジア映画界で不動の人気を誇った金城武(日本人と台湾人のハーフ)と、志村けんのコンビによる広告でした。
このコンビによるCMは6年間続き、2001年に台湾政府観光局のイメージキャラクターになった渡辺満里奈さんと共に、「第二次台湾ブーム」への誘導役となりました。今でこそ、自称他称含めて「台湾好き」「台湾通」な芸能人は多く見受けられます。が、台湾いいとこ一度はおいでとアピールしたのは、志村さん(渡辺満里奈さんも忘れてはいけない)がその先鋒と言っても良いのではないでしょうか。
志村けんさんの「台湾好き」は、「仕事」だけにとどまらず、プライベートでちょくちょく訪れていたようです。たまに台湾での目撃情報があったし、去年も私のフォロワーさんがビアホールで見かけたそうです。
また、地元テレビ報道によると志村けんさんは台湾に来た時、「台湾マッサージ」「檳榔」そして「警察の友達」が何よりの楽しみだとのこと。実際、台湾には行きつけの足ツボマッサージ屋があるらしいですね。
台湾以外でも…
志村さんの影響は日本だけにとどまらず、台湾や香港、そして中国でも伝わっています。
香港でも地元紙がトップニュースで伝え、中国でも向こうのTwitterである「微博」でも追悼のコメントが多数見られたといいます。中国はちょっと意外でしたが、彼の笑いは日本人の知らないところで国境を越え、東亜の子供たちに笑いを届けてくれていました。彼の番組を見て育ったという世代は、日本だけではないのです。
志村けんは日本の志村けんにあらず。東亜の喜劇王「志村健」だったのです。
最後に
志村さんの死をきっかけに、日本人の武漢肺炎に対する脳天気さ、無理解、無関心が少しでも改まることを切に願います。事態は深刻なりと警鐘を鳴らしている人たちに対し、根拠なき楽観論に耳を傾け、それこそ「だいじょうだぁ〜」と謎の楽観論に走る。ちなみに、これを「正常化バイアス」と言います。脳は楽な方、苦労しない方を常に選択するようインプットされています。今の日本人は武漢肺炎に対し、正常化バイアスという名の「臭いものには蓋」をして現実逃避している…私にはそう見えてなりません。
志村さんの死を通して日本人のウィルスに対する正しい認識を持つようになれば、志村さんもいかりやさんと一緒に泉下で安堵しているのではないでしょうか。そして、武漢肺炎に勝つ。これが志村けんさんに対する「弔い合戦」ではないでしょうか。
改めて、志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。