台湾史で絶対外せないもの、それは日本統治時代や
残念ながら、学校では習ったことありません…。
台湾が日本領だったのは50年。その間に築かれた基本インフラが、現在の台湾の基礎になってるんや。もちろん、その50年間はバラ色ばかりではなかったけど、現在の台湾の基礎は日本統治時代に築かれたということは、台湾人も認識してるんやで。
それが台湾の親日の原点でもあるんですね!
せや。台湾史は政治的な都合で長年学ぶことすら「反逆罪」やったんやけど、民主化されて客観的に歴史を勉強すると…全部日本やんと。
せやけど、それを知らんかったのは台湾人もそうやけど、日本人も長年の自虐史観で気づくことなかったんや。
ところで、その50年間で日本が台湾に残したものは非常に多いんや。
見えるものから見えない精神面まで、台湾人が日本から影響を受けたものは多い。
今回は、「見える」代表の言葉から学んでいくで〜。
よろしくお願いします!ワクワク
台湾屋台で見る日本語-「黒輪」
台湾の街角を歩いていると、そして夜市へ行くと、必ずこの文字にお目にかかるはずである。
「黒輪」
という文字のお店である。
く、くろわ???
そりゃそのまま読んだら日本語にならへんわなw
「黒輪」は台湾華語では” hei1 lun2″(ヘイルン)と読むのだが、これだと何だか全くわからない。
が、これを台湾語で読むと
「おりぇん」
となる。地方によっては「おれん」とも。
実はこれ、「おでん」のことなのである。
「黒輪店」を覗いてみると、どこかしら「おでん」ではなかろうか。日本人にとってはそれは「外国料理」には見えない。
本当におでんだ!
味は「おでん」と遠からず近からずとTaiwanizeされているものの、紛れもなく「おでん」が台湾に残った結果、独自の進化を遂げつつ生き残ったものである。
「黒輪」は台湾人の間でもおなじみであり、コンビニでもふつうに売られている。「関東煮」と書かれている店もある。
「おでん」がなぜ「おりぇん」になったのか
でも先生、なんで「おでん」じゃなく「おれん」なんですか?
ええとこに気づいたな!
「おでん」が台湾で進化し「おりぇん」または「おれん」となったのは上述したが、おでんは、なぜ「おりぇん」になったのであろうか。
台湾語には、”d”や”dz(j)”の発音が”L”となる独特の癖がある。私は言語学者ではないのでその理由まではわかりかねるが、確かなのは「ラジオ」や「うどん」も台湾での日常語として残っているものの、発音は「らりお」「うろん」である。
また、台湾語を理論的に体系づけた王育徳氏が、日本統治時代の旧制中学に入る時の面接に、「どろどろ」などを発音させ、正しい発音ができているかチェックされたと述べている。台湾人は癖で「ろろろろ」となってしまうから。
これでわかるとおり、「おでん」も「で」の”de”がL化し、”le”となったものと思われる。
台湾に行くと「黒輪」を食べる機会があると思うが、日本・日本語とのかかわりを知って食べると、また別の味が出てくるかもしれない。