1895年(明治28)から50年間、日本は台湾を統治していたのは、もう説明するまでもないよね?
そりゃもちろんです!
学校では今でも習いませんが、ネットで調べたらすぐ出てくる知識ですよね!
でも、それで大きな問題が出た。それは何?
初めての植民地だったから、ノウハウがなかったとか?
それもそうやけど、「あまりに文化が違いすぎた」ことやな
日本にとっては「未知との遭遇」だったわけですね
もちろん、内地人と台湾住民の間で、色んなカルチャーショックがあった。今回はそこから生まれた「台湾に残る、ある意味”めちゃくちゃ”日本語」を
なんですかその意味深な言い方は
カルチャーショックが生んだ言葉「あさぶる」
最初に述べたとおり、台湾統治は日本にとって「未知との遭遇」であった。気候から住民の食べ物まで、何もかもが違いすぎたのである。
「単一」に馴れすぎた日本人にとって、これはあまりに未知すぎる冒険であった。
最初こそ「日本式」を強制するものの、ただでさえどこの馬の骨かわからん人間に統治されるのを嫌がる台湾住民の抵抗が激しく、あえなく頓挫した。
それを横目で見ていた人物がいた。後藤新平である。
後藤は台湾史の中で重要なかかわりを持つ人物だが、間接的ながら台湾統治の初期の初期からかかわっており、特に台湾の宿痾だったアヘン対策は初代総督樺山資紀時代からかかわっていた。
無理矢理日本式を押しつけるからダメなんだ、ここは「生物学の法則」でいくのだ
後藤は4代目総督児玉源太郎下の民政長官(総督府事務総長的ポジ)に就き、「生物学の法則」に基づき現地の習慣を尊重する統治に切り替えた。
それだけに、内地人が台湾住民に感じたカルチャーショックは多々あったに違いない。
たとえば、昔の日本人男性は
「暑い〜!」
と思ったら、電車の中など公共空間でも着物を脱ぎ肌着一枚、いやステテコ一枚になっていた。
台湾も当然暑い。暑いとばかりに列車やバスの中でステテコ一枚に。今ならパンツ一丁になるようなものである。
これは、公の場で服を脱ぐなんて…の本島人を驚かせた。当時の驚きが本島人側からの記録にある。
そして、本島人が驚いた日本の風習がある。
風呂…厳密には「朝風呂」である。
当時の台湾人は、風呂の習慣がなかった。「風呂」という言葉が台湾語として残っていることが、その間接的な証拠である。
台湾人が不潔というわけではない。世界的に潔癖、清潔好きの日本人の方が世界的におかしいのである。
こんな話がある。司馬遼太郎の『街道をゆく』で、外国人学者が司馬に質問した。
なぜ日本人は文化として清潔好きなんだ?こんな民族、世界的に珍しい。
司馬は答えに窮して、
高温多湿だからじゃないかしら?
とお茶を濁した。学者はすかさずツッコミを入れる。
貴意見が正しいなら、中国華南、台湾、東南アジアも昔から清潔好きでなければならないが、そうではない。その矛盾はどうなんだ?
痛いところを突かれた司馬遼太郎、これには答えられなかったという。
日本人が全員朝風呂をするわけではないが、やはり朝から清潔でいたい、なにせ台湾は内地では「狂熱」と言われたほどの準熱帯、朝から風呂に入りたくなる。
そんな内地人を、本島人はどう感じたか。
朝から風呂入るって変な奴らwwww
それが言語化した言葉、それが「あさぶる」である。
「あさぶる」の意味
「あさぶる」は北京語で「阿撒不魯」と書き、上述したとおり語源は朝風呂である。
意味は北京語でいう「亂七八糟」で、日本語に直すと「めちゃくちゃ」「非常識」「ろくでもない」「とんでもない」…あまり良い言葉ではない。
しかし、台湾側視線での「台湾に残る日本語」にも常連で出てくるお馴染みの言葉でもある。
その昔、
滅茶苦茶でごじゃりますがな!
と一世を風靡した言葉があったが、「あさぶる」はまさに「めちゃくちゃでござりますがな」というニュアンスと解釈しても良いだろう。
しかし、お世辞にも良い言葉ではない。自分が言われたら、罵られているに近いと思って良いかもしれない…こちらもあまり多様しない方が良いので、使用上の注意をよく読んでお使い下さい。