何故台湾は新型肺炎の抑え込みに成功したのか-Twitterから見る台湾人の矜持

コロナウィルス台湾台湾情勢コラム

パンデミック(世界的大流行)となっている新型コロナ、いや、中国を発生源とする武漢肺炎ですが、日本でもgdgdな対応が国民の怒りを買い、その間に韓国やイラン、イタリアではものすごい事態になってしまいました。WHOも、何を今更なパンデミック宣言もむなしく、この勢いが収束する気配がありません。

そんな中、迅速すぎる神対策で世界から注目を浴びている地域があります。台湾です。

本日(3月15日)現在での数字でも、

台湾:患者数53名(死者1名)

日本:患者数763名(死者21名)

日本の10分の1に抑えています。

台湾の孤軍奮闘ぶりは、世界に

「台湾に続け!」

と思わせる対応ぶりで、政府も万全の布陣で対武漢肺炎ATフィールドを張って臨んでいます。


現副総統の陳建仁氏は、医師にしてSARSの時の行政院衛生署署長(厚生大臣)として最前線で指揮を執っていました。写真はニコニコしていますが、疫病との実戦経験ありの猛将です。

頼清徳

現副総統は5月に頼清徳氏にバトンタッチしますが、彼は彼でハーバード大学で公衆衛生を学び修士号を取得した、本件に関しては専門家中の専門家。驚くなかれ、「このハゲ!」でおなじみの豊田真由子元衆院議員も全く同じ経歴(ハーバード大で公衆衛生専攻、修士号取得)なのでですが、方や次期副大統領でこのままだと2024年総統間違いなし、方やハゲ娘として末代までの恥を晒すことに。どうしてこうなった。

 

陳時中台湾政治家

現衛生福利部長(大臣)の陳時中氏は、歯科が専門なものの、それでも医者には変わりなし。

 

Audrey_Tang唐鳳
「天才IT大臣」として昨今日本でも話題になった唐鳳氏(オードリー・タン)も、メンバーの一人です。なお、彼女はIT大臣と日本では呼ばれていますが、正しくは「行政院政務委員」デジタル担当であります。

実は2016年から変わっていないので偶然ではありますが、この布陣です。

台湾のニュースをチェックしていても、出てくるのは副総統と衛生部長、プラス「電球院長」こと蘇貞昌行政院長(首相)ばかりで蔡英文総統の「さ」も出てきません。これだけスペシャリストが政権内に入っていれば、「素人」の彼女が入る必要はありません。上のメンバーに口の悪い人がいたら、

「素人は引っ込んでろ!」

と言われかねない。まあ、手術現場に病院の理事長が口を出す必要ありませんわな。

しかし、政府内、政治家に何故これだけ医者が多いのか。ある台湾人が言います。

「それ、日本のせい(おかげ)ではないかww」

日本時代、出世や金銭の面で本島人(台湾人)は内地人と明らかな差別を受けていました。この壁は、長谷川清総督の「やめろ」のかけ声で遅くとも昭和19年(1944)には埋まるのですが、その1年後に終戦…時既に遅すぎた。


(台湾の漫画家、魔魔嘎嘎さんより。本人の許可を得て転載・翻訳)

また、不潔極まりなかった台湾を文字通り「フォルモサ」にしたのも、日本が公衆衛生を50年間、耳にできもの・・・・ができそうなくらいにうるさいかったから。

そんな中、本島人が出世できるコースは医者と弁護士。この二つが彼らにとっての社会的保証付きの出世コースだったのですが、それが日本統治が終わった後も道として残りました。それが現在に続いているのです。日本人は台湾史に対し無知だからこそ、「なぜ」という疑問が出てくるわけで、これを機に、もっと台湾史を勉強すべきではないでしょうか。

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台湾人の本音-あるツイートより

台湾が何故防疫に成功しているのかの理由はまだありますが、そんな中、ある台湾人のツイートが話題を呼んでいます。

要約すると、ツイ主の友人に台湾の防疫の最前線である台湾疾病予防管理センターに勤務している妹がいるそうです。彼女に何故今回の防疫の対応が迅速なのか聞いたところ、妹は苦笑しながらこう答えたそうです。

「この日のために、こんな時のために、17年間ずっと準備していたのよ!

17年前、彼女…ではなく台湾に何があったのか。

 

17年前の悲哀…

17年前とは2003年、あのSARSがアジアに猛威を奮った年でもありました。

SARSは日本では被害ゼロだったので、ああそんなのあったよねという程度の記憶しかないと思います。私は当時中国、それもSARS発信源である広東省在住で、SARSの一部始終を中国・香港で、この目に焼き付けてきました。

しかし、この頃の台湾は本当に大変でした。ここでWHOに入っていないという事が酷いハンデとなりました。

SARSに情報が入ってこなかったのです。

日本やアメリカが、横からこっそり情報を送っていたそうですが、それでもワンクッション置かないといけない状態なので、対応は一歩以上遅くなる。その上、人道上の観点から日米欧が台湾への正式加盟を呼びかけても、中国の圧力でその願いは潰えました。結果的に674人の患者と84人の死者を出し収束しましたが、このときSARSの終息宣言が「世界でいちばん遅かった」のが実は台湾。中国ではありません。

このとき、台湾は世界から見捨てられました。WHOに入ってないから知らないもんねーという、日本風に言えば村八分です。

彼女は続けます。

17年前、世界から見捨てられたこのときから私たちは「次」のためにシミュレーションを積み重ねてきたの」

「次」とは何か…当然、今回の武漢肺炎のような世界的な疾病に備えてです。

「(17年前と同じく)世界から見捨てられても、あのときと同じ轍を踏むわけにはいかない。17年前に失った生命のためにもね!」

なんという決意でしょう。ここから彼女の矜持を感じます。ここまでの決意と屈辱の涙、日本人で知っている人は何人いるでしょうか。

台湾は「国」なのか。感情論から国際法上での議論まで、その解釈は様々です。しかし、防疫に関しては明らかに「国」ではない。少なくても台湾人はそう解釈しています。だからこそ自分たちで自分たちによる、自分たちのための防疫を、自分たちで作らなければならない。対岸の火事視して胡座をかいていた日本とは、危機感や経験値が全く違っていたのです。

同じ過ちを繰り返してはならない…その決意が今回の対応にあらわれているのだと、私は感じます。

 

武漢肺炎に対する台湾人の怒りの本質については、こちらをどうぞ!
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