佐藤春夫と台湾、高雄
1920年、ある作家が台湾へふらりとやってきた。
彼の名は佐藤春夫。後年、昭和の文壇を飾る大作家の佐藤春夫その人である。
当時の彼は、恩師谷崎潤一郎の妻への恋心など人間関係で色々疲れ果て、自殺をほのめかすほど消耗していた。そんな彼に
おい佐藤、すべて忘れて台湾へ遊びに来いよ!
と誘ったのが、佐藤の故郷和歌山県新宮の中学の同級生、東煕市という人物である。
当時、東は高雄の「浜線地区」で歯科医をしており、なかなか豪放磊落な人物で交友範囲も内地人・本島人の区別なく広く、台湾に全く興味がなかった佐藤に台湾に携わる日本人を数多く紹介した。
高雄ではなく基隆から上陸した佐藤は、東がいる高雄へ南下し、高雄には1ヶ月ほど滞在したとされる。
佐藤の台湾遊行は3ヶ月にも及び、その間に西部を中心に様々な地を訪れている。世界で初めて台湾原住民を「科学」した森丑之助の案内で蕃人、つまり原住民の集落も訪れている。
その中でも、台南(安平)はかなり印象に残ったようで、その見聞からある作品が生まれた。
『女誡扇綺譚』である。
佐藤は、「台湾もの」と呼ばれる、台湾を舞台にした小説をいくつか書いているのだが、これがその処女作にして代表作。台南の旧市街と安平を舞台にした小説で、ジャンルとしては推理小説に入るらしい。
台湾人の古い社会を舞台にしながらも、廃墟に棲む幽霊の話など日本の怪談も織り込まれており、台湾に興味がある方は読んでみれはいかがだろうか。
佐藤の台湾紀行は、台湾では2017年頃から知られ始め、彼が台湾を歩いた軌跡を絵と共に学ぼう的な本も売られている。
この佐藤の台湾紀行、実はある大物黒幕がパトロンとして存在していた。それが…
前章で説明した下村宏(海南)である。
佐藤の来台時は、下村が現役の民政長官だった時のこと。当時からすでに文学界期待の星として注目されていた佐藤が台湾に来る…下村はこれを奇貨居くべしと捉えた。台湾アピールに利用しようとしたのである。
そして、下村と佐藤は同じ和歌山県の同郷。やあやあ同郷のよしみではないかと下村は表に裏に佐藤の台湾紀行をバックアップした。
その証拠に、『女誡扇綺譚』の初版のトップページには、下村(と森丑之助)への謝辞が書かれている。ここでも、文芸界の先輩に敬意を表し、「海南先生」となっている。
そして、それから70年後…
司馬遼太郎が民主化間もない台湾を訪れ、李登輝という現役の総統まで出てくる『街道を行く』シリーズでも異色の回、『台湾紀行』。司馬自身も「台湾という親友を得た」と上機嫌となった傑作となった。
ただ、司馬にとって不幸だったのは、「親友」と出会った時期があまりに遅かったことである…(台湾との最初の出会いの3年後に死去)。
これにも、ある裏話がある。
日本人へ台湾へのアピールが足りないと感じた李登輝総統(当時)、台湾ルーツの作家の陳舜臣(神戸生まれ)にあるお願いをした。
「台湾のこと書いてくれる、日本の有名な作家いない?あんたも大作家だけどダメ、日本人でないと」
陳はとっさにある人物がひらめき、言った。
「総統、ええ人いまっせ!」
陳は日本に帰国後、外語学校の後輩でもある司馬に電話をかけた。
「街道を行く、台湾まだやったな」
司馬の晩期の名作、『台湾紀行』は、日本人に台湾をもっと知ってもらいたいという李登輝総統の「策略」だったのである。だからこそ、「特別ゲスト」として総統本人出演で仁義を尽くしたと。
蛇足ながら、筆者本人も、台湾との出会いは当時中国留学中だった1997年、中国返還まであと数ヶ月と迫った香港の紀伊國屋書店で、何気に手を取ったこの『台湾紀行』が始まり。あまりの衝撃的な内容に、
これは中国でのんびりやってる場合じゃない!台湾へ行かねば!
と中国留学をかなぐり捨て、台湾へ渡った。
その時の本(偶然だが初版本)は、27年経った現在でも捨てずに本棚の特等席に鎮座している。
これはあくまで筆者の想像なのだが、李登輝さん、もしかして佐藤の台湾紀行、そして裏で下村海南、台湾総督府が糸を引いていたエピソードを知っており、その応用として司馬遼太郎を召喚したんじゃないかと。博学かつ日本統治時代には有名だったという佐藤の話を、李登輝さんが知らないことはないと思うし。
そして、その「策略」に筆者も引っかかってしまったと(笑
もちろん、司馬も陳も、李登輝もみんなあの世へ行ってしまったため、真実はあの世に行かないとわからないが。
地下鉄も「哈瑪星」へ
ところで、この哈瑪星まではMTR(地下鉄)オレンジライン(橙線)やLRT(軽軌)が通っているのだが、オレンジラインの方が今年5月、つまり今月に駅名が西子湾から哈瑪星に変更となった。
(LRTは開業時から哈瑪星)
筆者が高雄を訪問した4月下旬〜5月上旬はまだ「西子湾」のままだったのだが、
5月10日より「哈瑪星」に改名となった。
歴史地区として整備され、さらに日本人とも縁が非常に深い地であるせいか、日本人の訪問も多い。このように、日本語での案内もある駅なのだが、せっかくなので、我々の先祖たちが切り開いた高雄の新開地哈瑪星、旧新濱町に思いを馳せてほしい。
お次は、哈瑪星にある日本人の爪痕を訪ねよう。