台湾南部の古都、台南の玄関口である台南駅。
古風な駅舎が特徴だが、1936年(昭和11年)3月15日に落成された、日本統治時代からの生き残り駅舎の一つです。
設計は、1917年から台湾総督府の技師として建築物の設計に携わった宇敷赳夫、施工は池田組とありますが、詳しいことは資料がなくわかっていません。
1998年に台湾省(当時)の文化財に指定され、省解消後は国の指定古積となっている台湾近代史の物言わぬ語り部となっております。
駅舎は2階建て、1階は言うまでもなく現役の駅としてのコンコースですが、駅舎の2階は現在空きスペースとなっております。
そこには日本時代、ホテルが営業されていました。その名も「鉄道ホテル」。
「鉄道ホテル」(中文:『鐵道飯店』)は、台湾総督府が直接経営していたホテルで、外国人向けのホテルとして明治41年に台北に開業しました。台北駅前に作られた西洋式のホテルは台北随一の高級ホテルとして数々の外国人やVIPが宿泊しました。1945年の台北空襲で標的となり全壊、現在、ホテルの跡には新光三越百貨店が建っています。
その支店として作られたのが、台南の鉄道ホテルです。営業開始は1934年(昭和9)、2年後の1936年(昭和11)に上記の通り台南新駅舎が完成し、2階に場所を移しました。
鉄道ホテルは台湾総督府直営の「国営」ではあるのですが、実際の営業は後藤回漕店の関係「みかどホテル」に委託されていたそうです。そういう意味では、「半民間」「逆第三セクター」とも言えなくもないですね。
台南の鉄道ホテルも、台湾史上唯一の駅直結型ホテル(ステーションホテル)であると同時に、台南屈指の高級ホテルでした。
財界や政界のVIPはもちろん、皇族も宿泊したことがあり、それ相応のおもてなしレベルが求められました。

部屋は9室、中には貴賓室もあり、レストランやバー、電話室などが併設されていたが、部屋に浴室はありませんでした。現代と比べると「高級ホテル」なのに部屋にバスルームがないのは考えられないですが、当時はそんなものでした。

ここに鉄道ホテルの営業収支があります。ギリギリ黒字というところですが、この少し前まで鉄道ホテルの経営は赤字であったので、この数字でもかなり経営改善されたのかもしれません。
総督府営=事実上の国営なので、儲かる必要もなかった分、これくらいでよかったのかも。
大東亜戦争の敗戦により日本の統治は終了しましたが、ホテルは戦後も引き続き営業が行われました。
ホテルとレストランはそれぞれ別会社によって営業が行われ、ホテルは1965年まで、レストランは1986年まで営業を続けていました。
その後の2階は荒れるに任され、老朽化により関係者以外の立ち入りは禁止されていました。
そんな台南駅2階に、ホテルとレストランを復活させようとする計画があります。
2022年にはオープン予定ですが、記事によるとJR東日本が当事業に対しフラグを立てていましたが、果たして落札結果はどうなったのか。
現在は新型コロナウィルスのため、自由に台湾に行けることは叶いません。おそらく今年末のことになるでしょう。
しかし、もし台南のホテルが予定通り開業した場合、台南に新しいホテル、いや名所が誕生し、台湾旅行の新しい楽しみが増えることになるかもしれません。