神戸元町の旧居留地に、あるビルがある。その名は「高砂ビル」。
1949年(昭和24)築と旧居留地のレトロビルの中ではかなりの新参者だが、戦前の近代建築と戦後の現代建築の過渡期の要素を持つ内装など、建築史が好きな人には興味が尽きない。
このビル、元々は上屋(保税倉庫)として作られたのだが、1970年代にオフィス・テナントビルとして大改装された。外観を一目見て倉庫っぽいなという感想を持ったのだが、私の直感はあながち間違いではなかったようだ。
またこのビルは、北野武監督の映画『アウトレイジ』のロケにも使われており、ロケで使われた「大友組」の部屋が当時そのままに保存されている。映画ファンにとっては聖地巡礼地の一つである。
それ以外に特に興味がない人にとってはただの古びたレトロビルだが、なぜここを台湾史ブログに書くのか。実はこのビル、台湾と深いつながりがあるのである。
私が訪れたのは、神戸市が主催した「神戸モダン建築祭」というイベントのため。
2023年11月24〜26日の3日間のみ、神戸にある普段は非公開の建物が公開されたのだが、高砂ビルもその一つに含まれていた。
ボランティアガイドさんの説明を聞きながら見学していたのだが、その中にこんな説明があった。
このビルは李さんという台湾の人が建てたビルで…
その瞬間、私の頭の中で電気が走った。なるほど、だから「高砂」なのか!その直感は思わず声に出てしまった。
どういうこと?と疑問に思ったガイドさんに、私はこう説明した。
「高砂」というのは、台湾人にとっての台湾という意味です。江戸時代初期、日本人は台湾をタカサグンと呼んでいて、「高砂(国)」と当て字して書いていました。「高砂」って事実上の台湾の和名です。
李さんは故郷台湾への思いを込めて「高砂」と付けたのかもしれませんね。
日本人商人がタイかベトナムに自社ビルを建てて、日本人の誇りといささかの望郷の念を込めて「敷島ビル」「ヤマトビル」と名付けるようなものです。
説明を聞いてパッと思いついた推測ですが、『高砂ビル秘話』っぽくてドラマちゃいます?w
なるほど!『なんで”高砂”なんですか?』と聞かれるのですが、答えられませんでした…
ガイドさんも満足したようなので、私は意気揚々と次の目的地へと向かったのだが、偉そうなことを言った以上こちらも調べてみよう…
と帰宅した後で深掘りしてみると、さらに面白いことが。
時は今から約100年前にさかのぼる1926年(大正15)、李献庚、李義招の兄弟が、当時は日本領だった台湾から、内地で一旗揚げようと神戸へたどり着いた。
そこで彼らは貿易商社「高砂製帽商行」を設立する。「高砂」の名は、ここですでに名付けられていたのだ。
ガイドさんから説明を受けた際、”ぼうし”を取り扱っていたということは聞いたのだが、何を思ったか「紡糸」と脳内変換されてしまっていた。
はて?糸の商人?台湾で糸が取れるとは聞いたことないな…
そんな謎を残したままであったが、なんのことはない、「帽子」だった。
扱いが帽子なら、これは大いに合点がいく。
戦前の中流以上の社会では、外出時の着帽は常識であった。戦前の写真を見ると、男女問わず道行く人が帽子を被っていることに気づくが、それほどの必須アイテムであった。
その中でも、パナマ帽は人気があった。パナマ帽は舶来品もあったが、「国産」ものはほとんどが台湾産で、台湾の輸出品の主要品目でもあった。
台湾女性の絶好の内職稼業でもあり、おそらく歩合制だったのだろう。質の良い帽子を手早く作れる熟練工になると、女性でも月給70〜100円という高給取りがいたという。なお、当時の台北の喫茶店のコーヒー一杯が15銭(0.15円)だった当時の100円である。
この事業がうまくいったらしく、最初は台湾パナマ帽の輸入だったものが、じきに海外への帽子の輸出も行ったという。