2020年6月6日、台湾政治史にまた一つ、歴史が刻まれた。台湾南部の都市高雄の韓国喩市長が、リコール投票により罷免となったのである。
台湾が民主化されて30年近くが経ったが、市長の罷免は民主化されてから初めてのケースである。
韓氏は、2018年11月24日の台湾統一地方選挙で高雄市長に立候補、89万票を得て当選した。国民党も各都市の席を奪っていった。
彼の勢いは「韓流」と呼ばれ、流行語にもなった。台湾情勢や中文がわからないにわか台湾ウォッチャーなどは、台湾にも韓流が…と、少数ながら気が狂ったかのように騒いでいたことを思い出す。申し訳ないが、ここは語学力のあるなしがものを言う。
対して、民進党は歴史的惨敗を期した。蔡英文政権(第一次)の失政続きで民進党の人気に陰りが見えたところの惨敗は、数字以上の心理的なダメージが大きく、ツイッターには緑派(民進党支持者)台湾人の、悲鳴のようなツイートが私のTLを埋め尽くした。民進党が崩壊するのではないかと、海の向こうから見ていた私は心配しきりであった。
と、ここまではよかった。
まだ市長の椅子があたたまっていない2019年7月、今度は総統選への出馬を決定した。現職のまま選挙に出るのは、日本の選挙制度ではあり得ないが、「韓流」の勢いのまま、どこかのアニメのタイトルではないが、「トップをねらえ」な気分だったのだろう。
しかし、彼のこの俗物根性むき出しの選択が、彼の終わりの始まりであった。
事実、総統選出馬直後の支持率は、「韓流」の勢いそのままに人気がなかった蔡英文候補を超えていた。が、失言などの言動で彼のメッキが剥がれ始めたのと、彼を陰でバックアップしていた(とウワサされているが、ほぼクロ)中国の習近平国家主席のとんだ「オウンゴール」で、支持率は右肩下がりとなっていった。
「オウンゴール」については、こちら。
市政を放置して自分は総統選挙活動…「踏み台」にされた高雄市民の気分は面白いわけがない。
市民の怒りは、2020年の総統選/立法院選挙にあらわれた。
高雄市の投票率は約78%、台湾最高の数字を挙げた。市民はこぞって蔡英文・頼清徳候補に投票、立法委員も民進党の完全試合であった。
前回(2016年)の投票率が67.8%で2020年は10ポイントもアップし、総統選挙での投票数差も約50万票も出たところに、注目度と韓市政に対する市民の怒りがあらわれていると思う。
その後、市長には復帰したものの、総統選で惨敗した彼はもはや落武者扱いされた。日本風に表現すれば「どの面下げて帰ってきたんだ!」ということだろう。市政への評価も、不満が約6割、満足の3割を大きく上まわった。(シンクタンク「新台湾国策智庫」3月25日発表より)
ここから彼のリコール運動が始まった。リコールを求める若者に対し、彼の支持者はその親世代、政治的な世代分断がこの運動から垣間見えた。
2020年3月、市長罷免を求める市民団体が、40万人分の署名を中央選挙管理委員会に提出し、6月6日投票が翌月に決定した。規定によると、
条件2:賛成票が有権者数の4分の1(約57万)以上
になれば、リコールが成立となる。
このとき、韓氏は四面楚歌であった。高雄はもともと民進党帝国というくらいに緑派が多い地域な上に、2018年に彼に投票した高雄の国民党支持者でさえ、リコールやむなしと一部が賛成に回っていた。
韓氏は、署名は不正に集めたものと無効を訴えたが却下された。運気(機)が落ち目の時はじっとすべし、じたばたしないのが王道だが、韓氏はそれをやってしまい、市民のさらなる離反を呼んだ。
その上、武漢肺炎(新型コロナウィルス)への政府の対応が評価されていた昨今、韓氏は茨の道の中の投票日であった。
こういったマイナスポイントが蓄積され、本日の罷免となった。
(画像:台湾のTV局のネット投票速報より)
台湾時間17時30分、罷免が決定した韓市長が記者会見を行ったが、最後の最後まで自分が罷免されることを認めたくないのか、このようなことを言っていた。
「今回投票に行っていない130万人の市民は、この不正なリコール投票に同意できない、私の支持者である」
日本であれば、私の不徳と致すところ…となるところだが、最後の最後まで負け惜しみであった。
上記が投票の結果であるが、いつもは高い投票率が今回は42%と著しく低い。
これには、ある理由がある。
リコール前の5月、韓国喩氏は
「投票には行かないで欲しい」
と呼びかけた。彼の敗北宣言の”行かなかった130万は私の支持者”という根拠がこれである。
これにはある魂胆があった。
上記の通り、罷免条件には「賛成票が有権者数の4分の1(約57万)以上」というものがある。つまり、投票に行かせないことでこの条件をクリアさせない⇒不成立という作戦があったのである。
が、蓋を開けてみるとこうである。作戦は完全に失敗、国民党支持者まで罷免賛成に回った現実を彼はどう見るのだろうか。
いずれにしても、彼の政治家としての人生において、これほどの傷はないだろう。おそらく彼の政治人生は終わりだと思われる。それほど実績も、それ以上に人望がなさすぎた。