台北の記録的な寒さと降雪
今年(2021年)に入り日本には大陸からの寒波が入り、特にここ数日の日本海側の積雪量が記録的な多さとなっている。
実は南の台湾でも同じく寒波が襲来し、記録的な寒さを記録している。
台北では平地でも4℃近くまで下がり、熱帯のはずの高雄でも10℃。
(資料:Facebook「看見世界天氣晴」より)
標高1000m近くの山々が、このように雪に覆われた。
台湾は北部は亜熱帯、南部は完全に熱帯性気候で、そもそも暖房など必要ない地域である。さらに、日本統治時代は「狂熱」と呼ばれた暑さ用に、家も風通しが良いように作られている。
今回は記録的な寒さのせいでそもそも暖房など準備していない人々は、寒さに耐えるしかない。在住者よりの報告によると、何十人からの「凍死者」も出ているという。
ハロゲンヒーターがまたたく間に売れ、品不足が続いている。
さて、台北またはその近辺での降雪記録は他にあるのだろうか。
そこを調べてみた。
台北の降雪の歴史
◆近代以前
台湾での降雪の最古の記録は、1696年に発行されたという『台湾府志』に、
「鶏龍山の雪は台湾八景の一つである」
との記述がある。
「鶏龍」とは現在の淡水付近だが、「鶏龍山」とは現在の基隆山(標高588m)か、あるいは現在も降雪が続く七星山か大屯山(同1000m)と言われている。
16世紀より18世紀までは、台湾だけでなく世界的に気温が下がっており、数百年単位の小氷河期とも呼ばれている。日本でも、1732年の「天明の飢饉」の時期では7月なのに冬並みに寒かったという記録がある。
この時期には、1683(康熙22年)年、1788(乾隆53年)年、1857(咸豊7)年に降雪の記録があり、特に1892年から1893年にかけ強烈な寒波が訪れ、嘉義や雲林で積雪を記録し家畜が軒並み凍死したという記録が残されている。
この1892~1893年が「台湾史上最も寒い時期」とされているが、当時の台湾には科学的な観測がなされておらず、気温が積雪量などの記録は口伝や記憶に頼るしかない。
なお、1893年は日本の広島市内で史上最高積雪(31cm)、香港の史上最低温度(0℃)を記録した年でもある。
◆近代以降
1.日本統治時代
台湾で近代的な気候観測が始まったのは、1895年の日本による台湾統治以降である。
なお、日本が台湾を統治していた時代は、台湾では一般に「日治時代」または「日本時代」という。民主化以前、または馬英九政権時代(2008-2016)に使われた「日拠時代」という言葉もあるが、意味は「日本の不法占拠時代」となり、歴史的事実にそぐわないと現在では公的には使われていない。
日本は台湾領有後、早速1896(明治29)年に台北、台中、台南、恒春、澎湖の五ヶ所に観測所を設け、科学的な気象記録を残している。
20世紀に入ると、世界的に気候が落ち着き、19世紀までの降雪記録が目立たなくなる。
1917(大正6)年、大屯山に久しぶりに雪が降ったとの記録が残り、雪見客が山に殺到、鉄道の淡水線に雪見客用の臨時列車が走ったという。
このように絵葉書にもなっており、よほど珍しかったと思われる。
また、2年後の1919(大正8)年にも大屯山に雪が降ったとの記載がある。
戦後(日本統治時代以降)の降雪記録は、1958年2月13日、陽明山に雪が降ったという人々の記憶が残っているが、正式な気象記録にはカウントされず、「幻の降雪記録」となっている。
台北の最低気温
台北の最低気温は、1900(明治33)年2月13日に観測所で0.2℃を記録し、戦後の1963年(日本では昭和38年)1月28日に0.1℃を記録した。これが記録に残る史上最低気温となっている。
1962年から63年にかけては、近代以降における最大級の寒波が訪れ、1月のうち28日が10℃以下であった。これは台湾の月別最低温度の記録となっているが、不思議なことに降雪の記録は全くなかったという。
以上、簡単に台北の雪の記録を見てみたが、こうして調べてみると今年の降雪はやはりまれなことであり、かつ異常であることを再認識した。