世の中には色んなマニアがいるもので、その中に「戦争遺産マニア」もいます。
旧日本陸軍や海軍が全国各地に残した遺構を探す、中には遺構を超えて遺跡と化しているものもあり、これがなかなかに面白い。
これは日本国内だけではなく、大日本帝国あったところはどこにも存在します。もちろん、台湾とて例外ではありません。
今回は、高雄の意外な場所に残るある戦争遺構のお話。
掩体壕とは
戦争遺構のひとつに、「掩体壕」と呼ばれるものがあります。

掩体壕とは、飛行機を格納するコンクリート製の格納庫のことで、兵器としての航空機が発達し、空からの攻撃を防ぐために開発された防御兵器とも言えます。
欧米の専門用語では、HAS(Hardened Aircraft Shelter)と呼ばれています。
日本でもそうですが、台湾ではバリバリの現役で使われています。
今年4月から神戸空港〜台中便が開設されましたが、その台中空港、実は軍民共用空港。
現役の空軍空港でもあり、着陸時に戦闘機が格納されたガチの掩体壕を間近で見ることができます。もちろん撮影禁止なのでご注意を。
高雄空港とその意外な歴史

本編の舞台は、高雄にある国際空港…の周りですが、まずはその「母体」だった高雄空港の歴史を軽く。
今でこそ民間機がひっきりなしに飛び交う、南台湾の玄関口の一つです。が、そもそもは大日本帝国陸軍によって建設された「小港飛行場」が前身。
なお、ここと真逆の位置にある岡山にあったのは、海軍航空隊の方ね。
大東亜戦争の終戦時、台湾には陸軍飛行場が45個、海軍が19個あったとされています。
この飛行場の周りには、貴重な飛行機を敵軍の攻撃から守るための掩体壕が多数作られました。

小港の方ではなく岡山の海軍飛行場の方ですが、左下の滑走路の外れに、細い小路に沿って馬の蹄のような形をした建築物が見えます。これ格納庫も兼ねた掩体壕、おそらく屋根が消えた状態でしょう。
結論を先に言ってしまうと、台湾好きなら一度は使ったことがあるこの空港の周りに、80年前の日本軍の置き土産、掩体壕が残っているのです。意外なところに残っているものです。

高雄国際空港を使った人は数多けれど、その周りにある街までは意識した人は少ないかもしれません。
ここは「小港」という地域で、そこに掩体壕が残っています。
具体的には、空港周りには5ヶ所残っており、空港を挟んで北部に3ヶ所、南部に2ヶ所あります。

まずは一つ目。
住宅街に隠れる形となり、ちょっと意識しないとわからないくらいに周囲に溶け込んでいます。

私有地の中にあるので外から眺めて撮影するしかないですが、現在も使われているのか否かなどは、外から見ているだけでは不明です。

2つ目はこちら。
1つ目と違って、こちらはしっかり形が残っているようです。

戦後はレンガで「蓋」をされ、扉の形からして何かの店として使われてたのか!?

後ろから見た姿がこう。

こちらは3つ目。こちらもかつては倉庫として使われていた形跡が濃いまま残っています。

掩体壕を横から見た姿。前の自転車は、今回の探索に付き合ってくれたYoubikeの自転車です。

3つ目を後ろから見た姿ですが、前後にドアや窓があるので倉庫ではなく住居として使われていたのではないかと思われます。
この2つ目と3つ目、昔の航空写真にも写っていました。

小港空港の周辺にも掩体壕が写っていましたが、緑の○が2つ目、黄○が3つ目。場所を透過して確認を取ったので、間違いありません。
お次は、空港の南側にある掩体壕を。

…とその前に、高雄の片田舎の田園風景を。
高雄までになると年中米が獲れる気候。撮影時期は4月末でしたが、日本の感覚だと4月に米が獲れるなんてと季節感がバグってしまいます。
なおここ、高雄空港の滑走路の真横です。滑走路の真横はこんなのんびりした風景なのです。
空港南側の掩体壕
南側にあるのは2つ。

一つはご覧のとおり、現役の民家として使われています。

こちらはなんと!民家としてなんと現役!
めちゃくちゃ生活のにおいがしていました。
確かに掩体壕って爆弾の直撃でもしのげるほど丈夫な構造になっているから、そんじょそこらで壊れはしないかも。
しかし、民家として使うのはよろしいが、通気性とかは最悪なはず。これどうするのか。


という疑問は、南側の2軒目である意味解決。


ちゃんと通気用の穴と煙突を増設していたようです。
日本にも戦争遺跡としての掩体壕が残っていますが、台湾の、しかも台湾旅行で使っている空港の近くにこんなものが残っていることに驚きです。
台湾は、掘っていけばこういうものも見つかるのです。