台湾の民主主義が戒厳令を越えた「この日」
2025年9月10日、日本はおろか台湾でもあまり知られることなく、ある日を迎えた。

台湾の歴史において、戒厳令解除後の日数が戒厳令下の日数を超えた日である。
1948年12月10日、中華民国と国民党がまだ共産党と大陸で内戦を行っていた頃、「民國三十七年十二月十日全國戒嚴令」が発令された。
この戒厳令は台湾は適用されずだったのだが、

翌年の5月20日に台湾全土に「台湾省戒厳令」が敷かれた。
この「台湾省戒厳令」が、俗に言う「台湾で施行された戒厳令」のことである。
戒厳令はそもそも、国家の非常事態に対し一時的に敷かれるもので、数日〜数ヶ月で解除されるものである。
が、台湾は13,936日も続いた。年数に直すと約38年である。
これは、「世界一長い戒厳令」として日本でも知っている人が多いが、実は台湾が世界最長ではない。これは私も最近まで知らなかったことで、後日またブログで書こうと思う。
台湾の頭上に突然落とされた中華民国は、憲法もあった。国会もあった。
つまり、形だけは民主主義だった。
が、それは戒厳令の3文字ですべて否定された。
戒厳令では、一切の法律、憲法すら有効性が凍結されるのである。
政府のあらゆる違法行為や政治的弾圧が、戒厳令だからという名目で行われた。法治国家でありながら、法治が崩壊していったのである。
しかし、その羊頭狗肉的な民主主義制度が、実は戒厳令によって生かされてくる。
戒厳から解厳、そして民主化へ


1987年7月15日、この時歴史が動いた」台湾史版のこの日、蒋経国総統(当時)により38年続いた戒厳令が解除された。
台湾では「解嚴」といい、皮肉ながら「戒嚴」と発音が同じである。日本語でもどちらも「かいげん」なように。

その後、蒋経国総統は後継者を指名することなく死去した。持病の糖尿病の悪化である。
戒厳令が解除されたことにより、38年間フリーズドライされていた憲法も解凍されていた。
その憲法の規定にのっとって、副総統だった李登輝が総統に就任したのである。台湾人初の総統の誕生である。何ら違法行為もない、法律で定められたとおりに。
政治史の奇跡なのか、それとも蒋経国が用意したシナリオなのかは台湾政治史の謎だが、李登輝総統の爆誕により台湾の民主化のスタートとなった。
筆者は個人的な区分けながらこの爆誕前を「台湾史」、後を「現代台湾」としているが、台湾では一般的に「解嚴」を民主化元年としている。
そして、「解嚴」からこのコラムのアップ日で13,940日。台湾の民主主義はすっかり定着し、戒厳令時代を知らない「天然独」世代が社会の主要世代となった。台湾の民主化は、すでに空気となり、戒厳令は歴史となっている。