2024年12月、長年工事中だった台鐵の高雄駅が、ついに、ついに!


「完全体」になった。
ずっと工事中だったので、一体いつできるのかと台湾通をハラハラさせていた高雄駅だが、いざ「完全体」になると

こんなに広かったんかいな…
と呆然としてしまうほど、以前はゴチャゴチャしていただけに、スッキリして良い感じ。

そして、まだ中には入れないが、これまた長年立入禁止だった旧高雄駅も前までは進入できるようになった。
旧駅舎を背景に、堂々と記念撮影ができるようになったのである。
実は高雄駅のリニューアル、こんな場所もリニューアルされていたのはご存じだろうか?
鉄道跡が道路に!
高雄駅から東西に延びる「鐵道二街」という道路がある。
ここはかつての台湾鉄道の線路跡で、2018年に地下化された地上の線路跡は、再利用方法を模索していた。

線路跡は、車道・自転車道・歩道が完全に分離され、誰にもやさしい市民の道として整備された。
その道には、何の知識もない人が見たら「コンクリートの塊」にしか見えない、あるものが露天展示されている。
鉄道跡にある歴史モニュメント

高雄駅は元々、「浜線(哈瑪星)」という地区の港に面した地にあった。
現在の高雄発祥の地のようなもので、詳細は下のブログ記事に詳しい。
が、街の発展に伴う市街地の拡張で1941年に現在の位置へ遷され、上の駅舎はその年に完成したものである。

移転後の旧駅舎は「帝冠建築」と呼ばれ、日本国内でも少なくなった中、台湾では超レアな建築様式である。そのため、2003年に文化財として登録された。
長らく高雄の玄関口の一つとしてその姿を残していたこの駅舎も、市内再開発による鉄道の地下化により、その役目を終えることとなった。
現在は駅舎のメイン部分だけ、歴史モニュメントとして保存されているが、昔の駅舎は左右にもっと長かった。そりゃ台湾南部の玄関口の駅舎がこんなに小さいと、高雄市の沽券に関わる。
2002年、切符売り場とレストランだった部分が取り壊されたのだが、その一部が保存された。


その後、台鐵の鉄道線路跡の公園に、このようにモニュメントとして野外展示されている。

取り壊された赤枠の部分の一部が、上のようにモニュメントとして蘇ったというわけですな。
各壁には、どこの壁だったのかもご丁寧に解説されたプレートもあり、

この壁は黄色で囲った部分だそうな。

できて間もないのか、Youtuberの姿も。
この歴史がわからないと、

な、なんだこのコンクリートの塊は!?
とアタマの中が「???」となるだろうが、歴史を知ってしまうとたかがコンクリートにも歴史が刻まれ、血が通い始めるかのような感覚すら覚えることだろう。
おまけ 公園の「健康歩道」

鉄道跡公園には、「健康歩道」もある。
健康歩道とは見てのとおりの「足ツボ歩道」のことで、この上を裸足などで歩くと足裏のツボが刺激されるというそれである。
日本人がイメージする「台湾」イコール足裏マッサージだった時代もあったほど、台湾と足ツボマッサージとの縁は深いが、それだけに健康歩道も多い。最近は見ないなとは思うが…
約30年前、台北の中正紀念堂にも健康歩道があった。当時付き合っていた彼女とよく散歩し健康歩道も歩いていたのだが、筆者はあまりに痛くて歩けたものではなかった。それは今も同じである。
彼女は痛がる筆者見て、

そ、そんなに痛い??
首をかしげつつ、涼しい顔をしながら健康歩道を歩いていた。全然痛くないらしい。
そして、後ろから小学生が健康歩道を走りながら我々二人を追い抜いていく。

ええい!台湾の小学生が化け物か!
と赤い彗星のセリフの一つくらい吐きたくほどであった。

ここを裸足で歩いてみよう、人によっては飛び上がるほど痛いで〜。
痛くなかったらあなたは健康(笑