李登輝と犬養孝の不思議な縁

李登輝と犬養孝台湾史

李登輝と旧制台北高校

李登輝元台湾総統(1923-2020)
李登輝元総統(1923-2020)

「台湾民主化の父」として、天に召された後も台湾人の尊敬を一身に集めている元総統、李登輝。
氏が台湾の唯一の旧制高校、台北高校に入学したのは、彼の経歴を知っている人にはもはや説明不要であろう。
旧制高校とは、ただでさえ優秀でないと入学が難しい高等教育へのメインゲートだが、日本統治下の台湾では本島人、つまり台湾人の入学者は制限されていたという差別が存在していた。

しかし、台湾人もそれを承知で針の穴を通すような門をくぐり抜け、旧制高校へ入学した者は胸を張るような自尊心を得るには充分な箔であった。我々台湾人だってやれば出来るのだと。

李登輝氏自身、著書でこのように述べている。

「日本人は台湾人のことを少々見くびるところがあった。私自身、そういう場面に何度も遭遇した。高校生の頃母を台北の百貨店に案内した時は、わざと台高の制服を着て『台湾人の俺だってやればこれくらいできるんだ!』という矜持を表したこともあった」

『新・台湾の主張』李登輝著

外の世界では大小様々な差別があったものの、自由と自主あふれる高校に入るとそんな空気はなかったという。

「しかし、台高の中では差別など一切なかった。級友たちも表立って私たちにおかしなことを言う人は皆無だった」

『新・台湾の主張』李登輝著

高校生として、旧制高校の基本、「自由・自主・自治」の傘の下で大いに学生生活を楽んだ。
といっても、遊んでいたわけではない。

「台北高校の一クラスの定員は40人。そのうち台湾人の生徒は3人か4人だったと記憶している。在学中、とくに差別を感じたことはない。むしろ先生からはかわいがられたほうだと思うし、級友たちも表立って私におかしなことをいう者はいなかった。自由な校風の下、私は級友たちとの議論を楽しみ、大いに読書に励んだ」

『特別寄稿 李登輝より日本人へ「日台の絆は永遠に』

李登輝氏は、高校時代に読んだ本をメモっていたそうで、岩波文庫だけでも7~800冊の記録があるという。本人も「ありとあらゆる本を読んだ」と回想している。

現在の大学生は本を読まないと言う。読書から得られる知識は自分の知の土台となるもの。土台をおろそかにしては知が身につくことはない。
それどころか、自分は何も知らないんだという「無知の知」すら認識することができない。こうなると知に対して謙虚でなくなり、己の白痴化へまっしぐら。
大学を卒業したのに、なんでそんな一般教養知らんのだ?あなたホントに大学卒業した?と基礎学力すら疑ってしまう人に出会うことが多いが、土台がなってないからこその現象であろう。

閑話休題。

李学生にとって解釈が超難解だったのが、カーライルの『衣裳哲学』だったという。
私も李登輝氏の著書で知り日本語訳を読んでみたことがあるのだが、さっぱりわけがわからず。李登輝青年も、頭に冷や汗をかきながら読んだに違いない。
そんな中、台北の図書館で新渡戸稲造の『衣裳哲学』についての講義録に偶然出会う。
これを読んだ李青年は目の前の霧がたちまち晴れるような感動を覚え、新渡戸と同じ農業経済への道へ進もうと決意する。

「台湾で豚肉のことを語らせたら、僕の右に出る人はいないよ(笑」

と豪語した農業経済学者の原点が、旧制高校時代だったのである。

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李登輝と犬養孝

ここに、1枚の写真がある。

台北高校生時の李登輝氏と犬養孝氏
台北高校生時の李登輝氏と犬養孝氏(『白線帽の青春 西日本編』より)

李登輝氏の台北高校時代の写真である。赤矢印が李氏、黄色矢印の背広を着た人は、当時台北高校教授だった犬養孝である。

犬養孝とは何者か。

犬養孝
犬養孝(1907−1998)

氏は日本文学研究者で、万葉集研究に生涯を捧げた「ミスター万葉集」的存在。万葉集が好きな人や、大学の国文専攻で彼の名を知らない人にとっては万葉集界のスーパースター的存在である。
NHKの教養講座では歌を詠む際独特の抑揚をつけ、「犬養節」と呼ばれていた。
なお、犬養という、どこかで見たことがあるような珍しい名字だが、首相になった犬養毅とは親戚関係にない。

彼は、対米戦争の始まった1942年(昭和17)に台北高等学校に赴任した。李登輝氏はその翌年に台北高校を卒業しており、写真は1942年、または43年の初期だと推定される。

犬養孝に台湾在住経験があったのにも驚きだが、李登輝氏と一緒に写っている写真が残っていたのにはもっと驚きである。
李登輝は犬養の授業を受けたことがあるらしく、具体的には述べていないものの、どこかで犬養先生の授業を受け…との記述があった記憶があるので、それなりの薫陶は受けたのだろう。

ところで、李登輝氏の夫人、曽文恵氏は女学校時代に学んだ和歌を現在でも嗜み、今でも考える時は五・七・五と日本人と全く同じ指折りをするという。夫人にとって犬養はおそらく神。野球に例えると野球小僧が王長嶋イチローをリスペクトするような感覚といってよい。

もしかして若い頃の李登輝さん、

「え!?あなた先生の授業受けたの!?
なんで先生のサインもらってこなかったのよ!(怒」

と詰められていたかもしれない(笑

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