ビーフンとITなどハイテク、そして大学の町という、台湾一の顔の広さを持つ都市、新竹。
そんな伝統と最新技術の町に、日本軍にまつわるものが存在しています。

代天府という大きなお廟。
五府千歳王爺という神様を祀ったお廟で、正直、規模は大きい。筆者は道教については門外漢につき解説するような知識を持ち合わせていませんが、地元で篤く信仰されていることはその規模と装飾を見たら理解できます。

また、筆者が訪問した時は気づかなかったけれども、夜市も開かれる場所で台湾でもそこそこ有名らしい。

日本兵を祀る祠、「聖軍堂」はその境内の中にあります。
祭神は”藤井少佐”という人物で、お供に”部下の日本兵”を連れています。
日本統治時代の1930年代、ここの近くには新竹飛行場がありました。
現在でも新竹にはガチの空軍基地がありますが、元々は日本海軍が作ったもの。また、「日本本土」で史上初の空襲を受けたところでもあります。
”藤井少佐”はこの飛行場勤務で、整備兵と共に飛行場の整備を担当していました。しかし、戦争による空襲で爆弾が直撃、”藤井少佐”と部下は全員戦死。言い伝えはそうなっています。
日本海軍と居住民との関係は良好だったのか、後に日本兵が現地の守り神となって祀られているのでしょう。

実際の神様がこれ。
確かに台湾の神様とか様相を異にする、日本人っぽい神様が鎮座せられています。
海軍というよりは陸軍に見えないこともないが、そんな細かいことには目をつむっておこう。

こちらも訪れて日本人を祀ってくれている地元の方々の気持ちにありがたみを感じながら、手を合わせて安寧を祈りました。
新竹の「日本人塚」
新竹には、こことは別に日本人とゆかりのあるものがあります。
「南星宮新大衆廟」というお廟で、場所は聖軍堂とは真逆の位置にあります。
ここにあるのが、「日本人塚」と呼ばれるもの。


Wikipediaによると、日本統治時代の新竹には曹洞宗の禅寺(新竹禅寺)があり、現地内地人の菩提寺となっていました。
日本の敗戦で内地人が引き揚げとなった際、お寺の責任者だった佐久間尚孝禅師が台湾人信徒に遺骨を託し、その後南星宮新大衆廟に遷されたとのこと。
仏像の前に刻まれた日本人塚のゆえんを見ると、こちらも地元の方々の思いが伝わってくるようです。