冬の日本もかなり寒いが、今年(2024-25年)の台湾も、大陸からの寒波が襲来してかなり寒い。

台北や台中などは10℃、嘉義のは.9℃、台南10.5℃、高雄11.1℃。日本の感覚では大したことないように思えるが、台湾は亜熱帯・熱帯である。しかも、亜熱帯・熱帯の境目にある嘉義で9℃というのは、ちょっと異常と思える数字である。
台湾は形からよく「サツマイモ」に例えられるが、全島が寒冷化すると
「凍番薯」(凍ったサツマイモ)
と言われ、テレビでもこの表現がよく出てくる。
ここで気になった。台湾の最低気温の記録はどうなっているのだろうかと。
台湾 最低気温の記録
台湾の中央気象署(気象庁)のHPには、台湾の歴代最低気温ランキングデータがある。

日本統治時代の1901年(明治34年)に台中で記録した氷点下1℃が、台湾の最低気温記録である。
くどいようだが、台湾は亜熱帯・熱帯性気候に属する土地である。それをしてこの気温。(亜)熱帯とくれば年中半袖トロピカル。それで冬はこの寒さなら、凍死者もふつうに出る。
しかも、新竹は気候柄年がら年中強風が吹き(その分ビーフンの製作に最適なのでビーフンが名産)、「風城」(風の町)と言われている土地。新竹の氷点下は、体感的には−10℃以下ではなかろうか。
ちなみに、日本では1901年ではなく翌年(1901年末〜1902年)の寒波が甚大な寒さを日本史に残している。
北海道旭川市では日本観測史上最低気温の,−41.0℃を記録し、八甲田山で演習中だった陸軍部隊が遭難・凍死した「八甲田山雪中行軍事件」が起こった年である。
ここで私が思ったこと。

この気温って、山の上ちゃうのん?
ご存じのとおり、台湾島は中心部を背骨のように高山帯が縦断している。
戦前は富士山より高い山がいくつも控えており、熱帯から寒帯までの気候帯が一つの島にある世界的にレアな土地なのも台湾の大きな特徴である。
また、台北は南北部に数百メートル級の山が控えている盆地でもある。北部ではたまに雪が降ることがあり、日本統治時代の絵はがきにもその風景のものが存在している。
近年では、2016年1月の大寒波で台北南部(新北市)の新店で雪が最高10㎝積もった記録がある。
そんな地理的性質なので、この気温は山の上での気温じゃないか。それなら合点がいく。
上の中央気象署の表に「站碼」と書かれた項目がある。これは台湾全土にある気象観測地点の番号であり、こちらに番号一覧が記載されている。
この番号を頼りに場所を調べてみると…山どころか街の中心部。台北は現総統府の前だし、台中は台中公園の中。
これは寒い。東京駅の気温がマイナス20℃になるようなものである。
なお、平地・山地を問わない台湾史上最低気温記録は、1970年1月31日に玉山(昔の新高山)山頂で記録された−18.4℃である。
台湾南部の最低気温は?

台南は1918年2月19日の2.4℃が、記録に残る史上最低気温である。
その年の冬の台南は例年になく寒く、12月下旬にはすでに最低気温が3〜6℃へ。
1月に入り暖かくなるかと思いきや、寒さはそのまま続き、9日には2.6℃という、当時の最低記録を樹立。しかも10℃以下の日々が1月中ずっと続いたと記録にある。
そして、2月19日に2.4℃を記録。これが現在までの台南の最低気温記録である。

台湾には「虱目魚」という魚がいる。こう書いて台湾語でサバヒーと読む。東南アジア一帯に棲む魚なのだが、台湾ではどこでも食べられるタンパク源として昔から養殖され、台湾の「国民魚」として親しまれている。台南市の海沿いにある意味深な池は、すべてサバヒーの養殖池である。
そんなサバヒー、ある弱点がある。それは寒さ。
サバヒーは水温が20℃を切ると「凍死」を始めるらしく、15℃以下では生きていけない。さすがは熱帯の魚である。
そんなサバヒーを凍死させないために、鍋を池に浮かせその上に油を敷き、薪を置いて火を付け暖を取らせたという話が残っている。なお、これが効果あったのか。それはわからない。

台南より南、それ以上のガチ熱帯の高雄は、1973年12月クリスマスに記録した4.4℃が最低である。
その他の南部の町はどうだろうか。
冬は寒くなく夏も風のせいで暑くない「常春」という、台南最南端の町恒春は8.6℃、「台湾のカリフォルニア州」と言われる台東は7.2度である。
台湾の冬は、時折このように急激な寒さになったかと思えば、次の日は温かくなったりと気温がコロコロ変わることがある。
夏は「暑い!」一本なので余計な気を利かせる必要がないので、冬の台湾旅行は渡航前に気温チェックしよう。
まあ、現地に来て寒ければ、ユニクロへ走ってヒートテックを買えば万事解決である。