台湾の鉄道に残る日本統治時代のレトロ駅舎−台鉄新埔駅(苗栗県)

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台湾の日本統治時代のレトロ駅舎、苗栗県の新埔駅。新埔車站 、苗栗縣 台湾史
台湾鉄路局の新自強号
Wikipediaより

現在、台湾を一周して走っている「台湾の国鉄」こと台湾鉄路公司(以後「台鉄」)は、日本統治時代に敷かれた総督府鉄道がベースになっている。

そのため、台鉄には日本統治時代から残るレトロ駅舎がいくつか残っている。

台湾鉄道旧台中駅。東京駅と姉妹分

時期的にも建築方式的にも東京駅の妹分にあたる旧台中駅や、

屏東県の台湾鉄道竹田駅

日本語の書物を揃えた「池上文庫」があり、日本統治時代経験者たちのサロンが併設されている竹田駅などが有名だが、いずれも現役からは退いている。

今回は、その中でも筋金入りの古さを持ち、かつ現役バリバリの駅舎のご紹介を。

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台湾一のレトロ駅!?台鐵新埔駅

高雄市 鳳山駅の列車案内

台鉄縦貫線は新竹の南、竹南駅で「山線」「海線」に分かれる。
台鉄の駅の列車案内を見ると「海線」「山線」(または「海」「山」のみのことも)と書かれているが、台湾鉄道事情がわからないと、いまいちピンとこない。

台湾鉄道縦貫線の海線と山線。
民視新聞網より https://www.ftvnews.com.tw/news/detail/2021A15W0176

山線が開通したのは、日本統治が始まって13年の1908年(明治41)と早い。が、山間を走るため貨物などの大規模輸送には支障が出てくる。そのため、1922年(大正11)に海側にも線路を敷くことになった。それが「海線」である。

この「海線」、日本統治時代の駅舎が残っていることでも有名である。大山・日南・淡文・追分(老朽化により改修済)と合わせて「日本時代駅舎一条龍」「レトロ駅舎5姉妹」などと言われるが、今回の主役新埔駅は、その中でもかなり年季が入っている。

新埔駅(新埔車站)は台湾中部、苗栗県通霄鎮にある海線の駅で、海線が開通した1922年に開業。和洋折衷の駅舎は当時の姿を色濃く残している。
悪く言うとボロいのだが、その分独特の貫禄を備えている。

駅の建材は主に木材で、台湾のスギである「福州杉」が使われている。
近くで見ると塗装が剥がれたり木材が朽ちていたり、年季が入っていると同時に、老朽化も著しい。台湾のシロアリは日本とは比べものにならないくらい獰猛と聞いているので、今後が心配である。
ただし、大正後期はコンクリートも建築に積極的に使われ始めた時期でもある。
新埔駅も例外ではなく、地元の新聞記事によると、そのせいで案外頑丈なのだという。

大正時代後期から昭和初期にかけて流行した「丸窓」も、そのまま駅舎に残っている。
日本では「昭和初期建築のシンボル」とまで言われる丸窓、中文では「牛眼窗」と書く。「牛の目の窓」という意味だが、こういう窓の形が牛の目に似てるということだろうか。

駅の中はこうなっている。
天井は改装されエアコンもついて近代化されているが、側面は昔のままのよう。
駅の構造は、駅事務室、電信室、待合室、改札口で構成されている。向かって左側の「售票窗口」(切符売り場)は昔のままで、右の窓口は昔に小荷物を取り扱っていた名残だと思われる。

新埔駅は駅前が海と言っても決して言い過ぎではない田舎駅である。駅の周りは家どころか、自動販売機一つない。だが、意外なことに有人駅であり、駅員が常駐している簡易駅(台湾に69駅あるうちの一つ)である。

新埔火車站

台湾鉄道に残る築100年以上の日本建築、2005年6月に政府の文化部より「歴史建築」の認定を受けた。日本でいう登録有形文化財的な立ち位置だが、日本でもこれだけの駅舎が残っていれば、間違いなく登録有形文化財ものである。それか、老朽化やバリアフリーを理由にあっさり壊されるか。

上述のとおり、台湾のシロアリはかなり獰猛で、木造建築はあっという間にシロアリたちの餌食になるらしい。
そんな過酷な環境の中で当時のたたずまいを残す建物が残っていることは素晴らしいし、歴史の現物として残す努力を行っている台湾にも感謝に堪えない。

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