高雄塩埕遊郭跡を歩く|台湾の遊郭・赤線跡をゆく |

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高雄遊郭のその後−日本人が知らない高雄大空襲

高雄遊郭の現在いまは学校となり、当時の面影を残すものはなにも残っておらず。
日本の遊郭跡なら、当時を偲ばせる建物が今も残っていることもあるので、少しは期待して行くこともあります。
が、台湾で昔の建物なんて残っているとは全く計算に入れていないため、これなら予想内。

ところで、高雄遊郭のその後はどうなったのか。

戦後すぐの1947年の航空写真を見てみましょう。

日本統治時代の高雄の遊郭

あれ?跡形もなく消えてる…特殊と言えば特殊な地域なため、日本統治時代が終わったら消えてしまったのかしらん?と周囲を見てみると、町のあちこちが「歯抜け」状態に。

筆者
筆者

ははん、こりゃ空襲やな

歴史家として戦後すぐの日本各地の航空写真を何百枚レベルじゃない数を見ているので、これはすぐにピンときます。

すでに「日本じゃなくなった」ので日本史としては完全無視されていますが、先の戦争で台湾も空襲を受けています。
「台湾にも空襲があった」ことは知ってても、台北しか知らない人も多いですが、「日本屈指」の港湾都市高雄もアメリカさんが見逃すわけがない。

高雄は1944年の岡山(高雄北部)の航空隊への襲撃を皮切りに、45年1月〜5月にかけ、何度も爆撃が行われました。
アメリカ陸軍第五航空隊の資料1によると、高雄に投下された爆弾の量は2,559.2トンで、死傷者は約4,000人。
比較参考までに、1945年3月12日の大阪大空襲で投下された爆弾(こちらは焼夷弾が中心ですが)の量は、1,732トンでした。

1945年2月27日の空襲航空写真。米軍撮影

こちら米軍撮影の高雄空襲の航空写真です。2月27日のもので、①②③の位置関係がわかる程度の高雄の土地勘があれば、塩埕地区全体が空襲による煙で何も見えない状態になっていることがわかります。

おそらく、遊郭もこの時の空襲で焼けてしまったのでしょう。
1956年の航空写真では現在の学校の輪郭が確認できますが、この時には空襲で焼けたこの地が整地されたと思われます。

ところで、中学校前でこんな木造建築を見つけました。

高雄の遊郭跡
台湾の高雄の遊郭跡
台湾の高雄の遊郭跡

おそらく日本時代からの生き残り、空襲を生き延びた歴史の遺物でしょう。

台湾旅行の時は、こういう建物にも目を向けるとより立体感が増して面白くなりますよ。

筆者
筆者

これにて高雄遊郭のお話は終わり…
とはいかず深掘りしていくのが私のブログ(笑

フォロワーさんに教えてもらった「続き」があります!

  1. 《Fifth Air Force-Air War against Japan》
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