台湾史としてのサンフランシスコ平和条約

サンフランシスコ平和条約 台湾史
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もう一つのサンフランシスコ平和条約

今から68年前の1952年4月28日、アメリカのサンフランシスコで、第二次大戦の敗戦国である日本と、連合国との講和条約が結ばれました。
正式名称は、「日本国との平和条約(英語:Treaty of Peace with Japan)」ですが、これを現在は通称「サンフランシスコ平和条約」と呼んでいます。。
日本史の面から見えると、日本が主権を回復し国際社会に復帰した、ただし沖縄や小笠原諸島はアメリカ軍管理下…という面が強調されます。学校でも、おそらくここしか教えられないと思います。

が、台湾史というフィルターで見ると、我々が知らなかったもう一つのサンフランシスコ平和条約が見えてくるのです。

■台湾の地位

サンフランシスコ平和条約は、具体的には五章、二十七条に分かれています。
日本人が学校の授業で強調される「主権の回復」は、

第一章(平和)第一条(b)「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」

の部分となります。日本は主権を回復しました、めでたしめでたしと。

しかし、台湾史において、ここは全く重要ではありません。
第二章(領域)の第二条には、こう書かれています。

第二章(領域)の第二条(b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

法律知識や国際情勢がない人は、ここである誤解をします。

「日本は台湾及び澎湖諸島を『中国に返還』したんだ」

と。これは無理もありません、私も最初はそう思っていたから。
ところが文言には、返すなんてどこにも書いていません。あくまで「持っていた台湾・澎湖諸島の主権を手放します」なのです。
放棄してどこの国のものですなども書かれておらず、国際法上は「無主の地」となります。

また、上記(b)により、日本統治時代は「本島人」「広東人」「高砂族」と呼ばれていた台湾住民は、日本国籍を喪失すると解釈され、ここに台湾人は「日本国籍ではなくなる」のです。実際は、後述する「日華平和条約」締結でなのですが、細かい事は置いておきます。
が、どこにも「中華民国国民となる」なんて書かれてません。

中華民国と日華平和条約

実は、中華民国は、「中国」をどう解釈するかで米英が揉めたのと、中華民国なんて死に体だろうと、結果的に招待すらされていません。
が、オワコン扱いされた中華民国は1949年、台湾へ「亡命」し首の皮一枚で生き延びることとなります。それにより、1952年に日本と台湾に逃げた中華民国との間で「日華平和条約(日本国と中華民国との間の平和条約)」が結ばれることとなりました。
日本の一部、特に旧社会党とそれにつながる一派などは、
「日華平和条約で台湾は中華民国と認めたから台湾は『中国だ』」
というロジックを展開しています。実際、このロジックをベースに国会で論議されたこともあります。

しかし、日華平和条約を紐解くと、そんなこと一言も書いていません。
漁業や航海など細かい部分は置いといて、
「サンフランシスコ平和条約に基づき、台湾・澎湖諸島の主権は放棄します」
とは書かれていても、
「台湾・澎湖諸島は中華民国が主権を有します
なんてどこにも書いていません。つまり、国際条約上は台湾は宙ぶらりんだし、中華民国の主権が及ぶ範囲は「金門島及び馬祖」になるのです。

上で誤解と書きましたが、この事情を知らない人は、無知なあまり中国の誘導ロジックに引っかかっていることすらあります。
「中国」といっても中華人民共和国ではありません、中華民国の方です。
国際法の理屈では、中華民国は台湾を有する権利を持たず、主権の範囲はあくまで金門島・馬祖のみ。
この二つは、中華民国ロジックで言えば「福建省」にあたるので、「台湾省」でもありません。

中華民国も、ロジックが論破されると存在意義がなくなってしまうので必死です。
どうにか自分が台湾にいる存在意義を求めようとしていますが、その論拠の一つに「カイロ条約」があります。が、今回カイロ条約まで書くとこの記事内がカオスになり、歴史や国際法の知識がないとパニック不可避になるので、また別の機会に。

この流れで
「台湾は中華民国にあらず。無主の地である」
というロジックを、「台湾地位未確定論」と言います。
全員が全員ではないものの、「台湾独立」を主張するグループのメインは、この「台湾地位未確定論」に基づいています。
このロジックを知らないと、何故台湾で「独立」運動が起きるのか、全く理解ができなくなります。

 

おわりに

日本人がほとんど知ることのない、「裏サンフランシスコ平和条約」。
日本人的には「あっそ」と流してしまいがちなこの内容ですが、台湾人にとっては非常に重要な日。
「1952年4月28日 その時歴史が動いた」
日本史にとってもそうですが、台湾史にとっても大きく動いたのがこの日なのです。

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